あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

60回目のナガサキの日に

カタカナでヒロシマナガサキと書いた場合、それは単なる一地域名とは別の響きを持って受け止められる。そう、1945年8月6日、9日にそれぞれ投下された原爆の被爆地として。
ヒロシマが人類初の核兵器の犠牲地となって注目を浴びる一方、どうもナガサキヒロシマの影に隠れてしまっているような気がする。さらに言えば、ヒロシマはその街の中心部に投下されたために多くの犠牲者が出たがナガサキは中心からはやや外れたところが爆心であったという理由もあるだろう。もっとも、こうした被害を単に犠牲者の人数でもって、「量」として計ろうとするのはその時を生きた人々に対する侮辱に他ならないし、人間性とは最も遠くにある考え方だと言わざるを得ない。
ヒロシマの日、新聞に載っていたアンケートを見て大いに考えさせられた。アメリカ人の48%は原爆投下を戦争終結のために必要であったとする調査結果であった。以前からアメリカでは原爆投下はそのように正当化されていると指摘されてはいるものの、戦後60年以上たった現在でもなお、あのような虐殺を客観的に「正しい」と認識しているのかと思うと核放棄の問題の困難さが改めて浮き彫りとなる。
ヒロシマの犠牲がそれ以上に多くの日本人・アメリカ人の命を救うことになるというアメリカ側の論理を(断じて受け入れられるものではないが)仮に受け入れたとしても、ナガサキへの投下は全くの人道に反した行為ではないだろうか。同じ主張を筑紫哲也がしていたが、その通りだと思った。ヒロシマにはウラニウム爆弾、ナガサキにはプルトニウム爆弾。人間が人間に対して人体実験を行った証左である。
そうした被害を受けてもなお、被爆者の方々はアメリカに対する恨み辛みよりも核の放棄を訴え続けている。亡くなっていったヒトの中には復讐や恨みを願ったヒトも中にはいたのかもしれない。しかし、「この体験を二度と繰り返させてはいけない」という誓いのもとに、現在も闘っている被爆者の気持ちに思いを馳せるたびに私は人間への希望をみる。それと同時に、その人々の思いを決して夢に終わらせない為に、自分に出来ることはしたいきたいとも思うのだ。


いつかナガサキの空に平和の鐘の音がこだまする日が来ると信じて