あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

国民新党と自民党政治③

前回は派閥の側面から金権政治が横行するようになった背景について説明をしてみました。もっとも、派閥の登場は自民党内にあるイデオロギーの差異や派閥の長の個人的カリスマ性、あるいは当時行われていた中選挙区制という選挙制度にも大きく依っていることは言うまでもありません。ただ、あまり細かくやっていくと逆に見えにくくなる部分があるので、あえて省いた事をご了承していただければと思います。
※今回も文体は前回同様です。


社会的にみれば高度経済成長以降、一貫して人口は都市部へと集中していくことになる。つまり人的資本提供地としての地方と職業提供地としての都市という構造だ。そうなると、社会的インフラ整備は当然都市部に限らず、提供源たる地方へも行わざるを得ない。すると、当然インフラ整備に関して新たな雇用が発生する。これによって日本のGDP全体が底上げされる結果となった。

社会的には都市と地方の蜜月関係、これは「都市と地方の格差是正」と後々まで一環して自民党政治における政治方針の根幹を占めるモノとなる。自民党内においては名望家政党における非イデオロギー性。この非イデオロギー性は=包括性へとつながる。地元の名士(=有力者)に利益を調整してもらうべく、有権者は様々な要求する(ex.道路や橋の建設)だけでなく、農産物価格の調整(ex.農産物輸入の阻止)、はたまた就職の斡旋から交通法規違反のもみ消しまで、実に多様だ。

こうしたある意味で現在われわれが思い浮かべる、非常に「自民党的な」政治が現在においても行われていたわけだが、小選挙区制の導入と小泉純一郎という総裁(指導者)の登場によって自民党政治が大きく変容を遂げようとしているは注目に値することだと思う。(小泉内閣が採る新自由主義的政治姿勢の背景に高度成長の終焉と日本の財政赤字の増大が背景にあるのは間違いない)

こうなると、オールドタイプの自民党政治はもはや成立の余地が無くなってしまう。従って包括的なかつての自民党政治ならびにその政治家の象徴である亀井静香綿貫民輔国民新党を紆余曲折の上で旗揚げせざるを得なくなるのだ。
この包括性は鈴木宗男にも当然共通するが、大きな政府・積極的財政出動という観点からすると、公明・共産・社民各党の政策とさほど変わるモノではない。こうして考えると、国民新党とはまさに戦後55年体制における日本の政治姿勢そのものといえるだろう。