あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

祭りだ・ワッショイ!?〜鈴木謙介『カーニヴァル化する社会』を読む

 いきなり最初から某掲示板と見紛うほど(ウソ)ですね。やれ、パキスタン地震だったり、レクィエム聴きに行ってたりと全く管理人の勝手なんですがもっと前に紹介しようと思っていながらここまで来てしまいましたf(^ー^;

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)


 カーニヴァル。「祭り」というのが一般的な意味なのですが、ネット世代であれば「祭り」に一定の意味が付与されることくらい分かる人は多いでしょう。2ちゃんねるでいうところの「祭り」は意味が異なる。少なくとも管理人はそう思ってます。
 「祭り」それ自体が目的となってしまっているのと、何らかの目的のために「祭り」という表現手段を使うのとでは全くその本質が変わってしまいます。ネットでしばしば起こる現象としての祭りは主に前者からなるようです。
  

 管理人はその程度の認識に留まっていた訳なんですが、この本の著者・鈴木謙介はそれから更に論考を重ねていきます。
 まず出発点となっているのが、イラク人質事件の家族に対するバッシングと北朝鮮拉致被害者家族会へのバッシングといったイデオロギー的には対照的な二つの「対象」に対してバッシング(一種の祭りの形態)を行ったコトを鈴木は採り上げています。
 それまでのネット世界は右傾化しているという北田暁大らの指摘に対して、そうではないという反論を行っているわけですね。(もちろん、北田自身が「単純に」そう断定しているわけではない事は指摘しておいて良いんですけど…。)ネットの住民たちは、先に書いたように特定の事件に対して、非難・あるいは参加することで一種の満足感を得ていると言うわけです。(その一例として、2ちゃんねるで行われた折鶴オフのことなども紹介されてます)


 そうした彼らの思考様式から第一章では「液状化する労働観」として、ニートであるとかフリーターをはじめとする若年労働者の労働観を考察しています。ここでは社会情勢の変化、たとえば「地元に帰る」というかつての大卒の選択肢が、都市部への経済活動の一極集中化が深刻化するに従って、現在ではほとんど存在しなくなっている。などの指摘がなされており、これはそれまでの「甘やかされている子ども」的な識者ないしは世論の風潮に対して疑問を投げかけています。
 実際、中高年の失業率のおよそ2倍の失業率が若年層では生じており(自発的失業も含むのでなかなか難しいんですが…)、新規雇用の低迷など、いわゆる「オトナ」社会が若年層の雇用機会であるとか、将来設計を食いつぶしているとの見方を提示していてなかなか参考になります。
 従って、勤労に際して「躁鬱状態」を繰り返しているというわけです。自分の将来設計がかつてのようにハッキリと描けない(団塊世代がそういう社会にしてしまった)が為に、現在就いている仕事をルーティンにこなすだけになってしまう、あるいはそうなるだろうと考える、鬱状態に陥る。一方で不可能に近い将来の目標・やりたいことを設定して、現在ある状態を支えていこうとするハイな躁状態を繰り返している。というわけです。
 この見方自体、なかなか面白いと思います。社会分析の新しい切り口かも。社会学者自身が、現代の「若者」(この言い方はややステレオタイプ的ですね)に対して、ピントがはずれている観が個人的には多い中、比較的歳が近い北田暁大鈴木謙介がどこまで迫れるか?だと思います。


 第二章は情報社会における監視を採り上げ、自己の認識がデータベースにアクセスすることでフィードバックして認証されていく、といった、まさにup to date な話題です。更に関連して第三章では自分中毒としての携帯電話を採り上げます。デカルト以降の近代的な「個人化」観が変容していることを挙げている訳なんですが、そーなってくると、デカルトとか、フーコーとか知っておいた方が良いわけで、ちょっと、説明はめんどくさいから、興味があれば是非読んでみて下さい。


 個人的には第一章だけでも読む価値はあると思いますね。二章以降も、社会学現代思想に対する予備知識が無くても、何とか読んでいけると思うので、割合オススメです。

図解雑学 現代思想 (図解雑学シリーズ)

図解雑学 現代思想 (図解雑学シリーズ)


 これなんかも併せて読むと良いかも。単純明快に解説しています。いや、現代思想やるにしても、もっと堅い本もあるんだけど、専攻するわけでもないのに採り上げても難ですよね。これは図解雑学シリーズだから、寝っ転がって読んでも大丈夫(笑い)。