あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

豊かさの次に来るモノは…。〜R・イングルハート『静かなる革命』

カルチャーシフトと政治変動

カルチャーシフトと政治変動

もう『静かなる革命』は絶版して久しいのですが、こっちはまだ健在のようです。ただ、今回は、お題の通り、『静かなる革命』なので、悪しからず。


 久しぶりに、政治学の話っていうか、まぁ、読書ですね。

 イングルハート、と聞いて何を言わんとするか理解できるヒトは、学部レベルを超えてしまっているのでは無かろうか。著者のロナルド・イングルハート(Ronald Inglehart)は1934年ウィスコンシン州生まれらしく、シカゴ大の教授をしていたらしい。(現在は不明)
 管理人とは政治学ながらに、対象がかなり異なるため、恥ずかしながら不明な点が多いので、それくらいのことしか言えないのだが、ともかくこの『静かなる革命』はこの分野におけるパイオニア的研究なので読んでみることにした。

 本書において研究対象とされるのは、社会の構造変化が、その構成員たる人民にどのような価値観の変化を及ぼすのか、といったところである。
 たとえば、現代社会における、高齢者層の保守的傾向というのは、「高齢化」が進むことによってもたらされる共通の現象なのか?それとも、高齢者がかつて受けた教育による人格形成の結果なのか?ということだ。
 イングルハートの指摘は特定の価値観に対しては生理的変化に基づく変化ではなく、それが社会構造の変化によってもたらされたことを明らかにしたところを高く評価されているのである。


 アンソニー・ギデンズの著書でも登場する「脱物質主義的価値観」というのが本書において取り扱われるテーマである。ここでいう「脱物質主義的価値観」と言う概念を理解する前に、「物質主義的価値観」について説明したいと思う。なぜなら、その方が「脱物質主義的価値観」を理解しやすいからだ。
 「物質主義的価値観」というのは平たく言ってしまえば衣食住を中心とする生活・生存を最優先に考える価値観である。生活密着主義とでも言えるかもしれない。(ハンナ・アーレントにおける「労働」の概念が最も適当か?)
 人間、極限まで行くとまさに「生か死か」といった選択を迫られるときがある。それに近いモノがあろう。ともかく、生きていくためには食べるモノ、着るモノ、住むトコロが必要であり、従って、それを手に入れるために職に就かなければならない。
 そうした前提にある人々の価値観のことを「物質主義的価値観」と呼ぶ。例えば、物価上昇の抑制であったり、経済成長、強力な防衛力などといった質問項目に対して強い支持を与えているのが特徴であろう。
 第二次世界大戦前後までに価値観を形成した人々に多く見られる現象である。なぜなら、第二次世界大戦前までは、度重なる世界恐慌や世界大戦というものに曝されてきたので、何よりも生理的欲求に基づくのである。

 これに対して「脱物質主義的価値観」とは社会が成熟し、経済発展が一段落した社会において生活する人々の価値観である。
 こうした社会は、社会を構成する成員ほとんど全てが、衣食住に困らず、失業等の不安に駆られることもない。また、インフラは整備されているし、生活に困らない程度には財産も持っている。そうなると、生活の安定といった要求は後景に退き、政府に対するもっと多くの発言力、あるいは言論の自由、美しい自然、といった質問項目に対して強い支持を与えているのである。
 これらは社会的及び自己実現的欲求に基づいたものだと考えられるのである。

 言われてみれば、最もなのだが、その「もっともだ」という印象論を綿密な調査によってきちんとデータとして研究したところに非常に大きな意義がある。だから、ここから分かることは、次第に全ての年齢層においても脱物質主義的価値観を持つ者のほうが多くなっていくと言うことだ。


 そうしたことを考えると、政府の役割は、伝統的には「富の権威的再分配」であったものが、自由と民主主義の擁護であったり、人権の尊重であったりと、従来の役割と期待される役割が異なりつつあると言うことだ。このことを無視した上で、権力論云々はもはや出来なくなってきているのかもしれないし、あるべき政治像を求める場合に、この要素は不可欠になってくることもあり得るだろう。
 しかし、この研究では同時に、ある理想的な政治像が達成された場合、それで人々は満足するかと言えば、そうではない。到達されたかと思った時点で既に異なる欲求・不満がが登場してくるのである。このことも社会政治的満足感における調査結果から明らかにしているのだ。
 そういった意味で、政治というはあくまでも人間の主観的欲求に基づくものである以上、満足すると言うことはない。したがって、永久に終わりの無い過程であるとも言えるだろう。

 最後に本文からの印象的だった部分の引用をしておく

 我々の調査結果が意味するものは、ある意味で悲観的である。人民を永遠に幸福にできるような政府などは、存在しえないということだからである。最も進んだ政策でさえ、一般的生活満足感に対して限られたインパクトしか、しかも限られた期間しか与えないだろう。(中略)
 人民を永遠に幸福にできるような政府はない。長期的にみれば、成功したそれぞれの体制はそれ自身の墓穴を掘っているのである。すなわち、新しい欲求が浮かび上がってきては、新しい要求と新しい型の不満をもたらす。しかし、結局のところ、これは幸福な自体というべきであろう。不満が無くなった社会は死硬直化して、冷たくなった社会にほかならないからである。(R・イングルハート『静かなる革命』p.171)