あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

大分趣旨が違うんですが…

 今朝の朝刊一面トップは自民党憲法改正草案だった。ま、各新聞社によって採り上げ方に差があるんだろうけど、わが家で取っている新聞はそーだったって訳で。
 周りの知り合いなんかに話してみると分かるんですが、各新聞社によって主張が違うってコトを知らない人が結構多い。社会科学を専攻している身としては全く驚いてしまうんですが、「へぇ、初めて知ったよ」と言われたことは一度や二度ではありません。


 となると、メディアから当然受けるバイアスに気づかないでそのまま記事を読んでいるコトになりますね。肯定的に捉えるか否定的に捉えるかということから既に、新聞社の意思か介在しているわけですから、そのことを知らないで全てだと思いこんでいるとしたら大変よろしくない。
 取っている新聞の方向性に納得していれば良いんですが、そーじゃなくて、ただ、押しが強かったから採っていますじゃマズいかもなぁ。


 メディアリテラシーが求められるなんて言いながら実のところこの当たり前のような言葉さえ、実際どの程度普及しているんだろうと思い始めてしまう今日この頃です。


 自民党の改正草案について、条文と照らし合わせてみないとなかなか言いにくいんですが、前文の回りくどさが無くなった反面、立憲主義との関係上、どうなるのかといった懸念は残ります。
 国民の人権を保証するために、国家権力を規制する「縛り」が憲法ですからねぇ。かつてメディアに採り上げられていた自民党の草案だったら復古調以外の何物でもないんですが、随分と抑制されたものが出てきたな、と。これだと国民ウケは良いのかもしれないなぁ…。と思ってしまいました。
 解散権を総理大臣の権限とするとか、日本国憲法の技術的欠陥を修正している一方、9条や、政教分離規定では現実に引き摺られて、当初の理念が後退しているようです。


 立憲主義憲法っていうのは小学生が夏休みに掲げる目標みたいなもんですよね。別に、夏休みの過ごし方なんて各人の自由だから、わざわざ計画表をつくって「夏休みの目標」なんて書かなくても良いワケです。
 でも実際に小学校では夏休みの過ごし方を計画表にして目標まで設定するのは、そーいう「縛り」がないと「真っ当な」(笑)夏休みが送れないからでしょう?
 ※もっとも、他の理由もきちんとあるんでしょうが…。


 だから、今回の改正草案を読むと、夏休みの始めに考えた「理想的な夏休み」が結局送れず、ぐーたらしてしまった現状に合わせて、目標そのものを達成しやすいように変えちゃったのかなぁ。と思ってしまいました。
 ただ、やっぱり目標通りにいかなかったから、目標そのものを変えてしまおう!とする子どもがいるとしたら、親や教師はきっと「自律できてない」とか「意思が薄弱」とか言いそうですが…。


 常にベストな判断を統治者がするのであれば、別に憲法なんて必要ないんです。だから、立憲主義というのは国家権力に対する性悪説的考えが内在されているといわなければなりません。だから、政治権力を行使する側が、邪魔に感じるくらいが憲法としては丁度良いのかもしれませんね。

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

朝日的でも産経的でもない、ニュートラルな立場から「立憲主義」を論じた好著。
筑摩新書の中でも、かなり良くできていると思う本。いわゆる「古典」と呼べる新書に加えても良いんじゃないかと管理人は勝手に思ってます。