あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

耐震強度偽装と民営化論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051120-00000206-yom-soci

 ここにあるとおり、震度5で倒壊の危険があるなか、暮らすのは容易ではないと心中察するに大変気の毒だ。特に、九州北部や、新潟中越宮城県沖など比較的大きな地震が起こっているし、関東大地震はいつ起こってもおかしくはないとも言われている。

 現政権は「民間にできることは民間で」と言うこと、呪文のように唱えているものの、果たしてそれが妥当なのかどうか?と、立ち止まって考えさせられる事件。
 たしかに、「イギリス病」などと呼ばれたイギリスを始めとするヨーロッパ諸国では1970年代ころから福祉国家政策がもたらした、行政の肥大化、不効率が深刻な問題になった。
 行政の肥大化や不効率はそれだけ財政を圧迫し、ひいては国民経済にマイナスな影響を与えるので、脱却のためにサッチャーレーガンはそれまでのケインジアンに代表される福祉国家路線を脱却しからハイエク流の新自由主義路線を採用した。
 これによって、国有企業が解体され、市場は活性化し、ひいてはGDPの向上に繋がったのは否定できない事実であろう。

 しかし、一方でイギリスでは、例えば、学校の給食が自由競争になった結果、囚人の食事よりも安価になり、栄養状態の極めて粗悪なジャンクフードしか提供されなくなったという(『世界』11月号)
 
 こうしてみると、一見「民間にできることは民間で」というもっともなスローガンにも当然問題点はあると言うことが分かると思う。
 つまり、企業はその本質上、利潤の拡大を目的にするために、儲かることなら何でもしてしまう危険性があるのである。その一例が、今回の耐震強度偽装事件だと思う。ここでは利潤の獲得が住民の生命・安全・財産よりも優先された結果生じたことであり、これと同じ構図は、実は、雪印乳業の日付偽造問題やJR西日本福知山線脱線事故でも見られたことである。
 ここでは、企業の論理が人間社会の論理と矛盾した場合に、我々は当然、社会の論理に企業は従うものだと考えるのだが、実際はそうでない場合が多々存在するということである。

 もちろん、だから何でも国営にすればよいと言うわけではない。しかし、「何でも民営化すれば解決する」と言う姿勢に黙従してしまいがちである以上、行政が責任を持たなくてはならないのは何なのか?社会がコントロールするのはどんなことなのかということを立ち止まって考えてみることも重要だろう。