永観堂から南禅寺まではすぐ隣。ただし、敷地がでかいので、ちょっと歩くんですけどね。考えてみると、京都・奈良の寺社仏閣巡りは若い内にした方が良いのかもしれません。だって、体力が持たないもの。
毎日の生活って、結構ハードだったりするもののルーティン化すると体の方が慣れてくるからペース配分が上手くいくんですが、旅行のように非日常の行動は一日のペース配分が無く、神経が緊張しっぱなしなので大した運動量じゃなくても疲れますよね。
ちょうど、普段、車の運転をしないヒトが久しぶりに運転すると大して運転してないにも関わらず疲労が蓄積するのに似ているのかも。
今日の南禅寺は、かの石川五右衛門が「絶景かな絶景かな」と言ったとかいわなかったとかのエピソードのあるお寺。
寺の施設とは直接関係ないんですが、ここに築かれた疎水は明治人の気概が感じられます。ああ、ちなみに、写真はアップしてませんが、ここの紅葉もきれいですよ。やっぱり、桜や紅葉を見るのは街中の寺じゃダメですね。ちょっと外れというか郊外というか、そーいうところじゃないときれいじゃない。
閑話休題。で、この疎水なんですが、明治の始めになんと琵琶湖から京都(経由して大阪湾まで)まで引っ張ってきた用水。富国強兵の一環として潅漑や工業用水として利用するためにわざわざ引っ張ってきたわけです。
当時、こんな大工事をする技術は無いとされてきました。にもかかわらず完成したのは、根性、ではなく日本に存在した技術でした。
琵琶湖から京都まで、平坦な訳ありません。地形を想像して貰えれば分かるんですが、盆地になっている京都は周囲を山に囲まれています。
水は当然の事ながら、高いところから低いところにしか流れないので、琵琶湖から大阪湾まで用水路は一貫して傾斜していないといけない。ところが、山に阻まれてしまう。そこで、トンネルを掘ろうとしたわけですけど、トンネルを掘る技術は無かった。そこで、金・銀をはじめとする鉱山で坑道を掘る技術を応用して地中にトンネルを掘ったわけです。
現在もこの疎水には水が流れています。何が何でもやるんだ、という気概が感じられますね。
- 作者: 佐々木隆
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管理人は明治期の日本は良くも悪くも日本を喪失する過程だと思うんですけどね。それについて詳しくは機会があれば。