あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

幸せな時間。ジャン・フルネのラストコンサート〜都響定期演奏会

東京都交響楽団 第619回定期演奏会 Aシリーズ

12月21日(水)開演19:00

ジャン・フルネ ラストコンサート


ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」op.9

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491

ブラームス交響曲第2番 ニ長調 op.73

指揮/ジャン・フルネ
ピアノ/伊藤恵


 都響名誉指揮者ジャン・フルネのラストコンサート。いわゆる引退公演ってやつです。管理人は都内の大学というアクセスの良さを利用して、足繁くコンサートに行ったりしているわけですけど、フルネとの思い出も結構あります。この4年の間に結構聴いたなぁ…。としみじみ感じてしまいました。
 コンサートプログラムに載っていたフルネのコメントがまた涙を誘います。もう、最後なんだなぁ…と感慨深いところへ、そのコメントがあったから始まる前から涙腺が緩くなってました(苦笑)。
 ちょっと引用して…。

 アメリカ、カナダ、南アメリカ、母国フランス、そしてその他のヨーロッパや東洋の国々で指揮した数多くの演奏会やレコーディングを私はしばしば思い出します。しかし私にとって、選択は簡単でした。最後の演奏会は、ここ日本で、私に最も意味深いオーケストラと行いたかったのです。


 何と素敵な話だろうと思ったわけですよ。他にもポストを得ていたオーケストラもあったのに、最後に日本で、都響を振ってくれるなんて、日本の聴衆にとっても、都響の聴衆にとっても名誉なことですね。


 ローマの謝肉祭は非常にゆっくりとしたテンポ。もっとも92歳なのだから、チェリビダッケやジュリー二のようにテンポは遅くなるのは致し方ないですね。それでも、弦を中心に非常にそのテンポにしっかりとついてきています。
 都響の方も、この曲から凄い気合いの入り方。その懸命さが客席にも伝わってきます。フルネの指揮も音楽を愛しむようにホントにゆっくりと進んでいくんですが、フランス系の指揮者の特徴(?)か透明感のある響きからそんなに重たく感じません。
 それよりも、細部のニュアンスが非常に生き生きとしてベルリオーズオーケストレーションが明確に分かります。


 伊藤恵とのモーツァルト。ここでもテンポは非常にゆっくり。モーツァルトのピアノ協奏曲でも単調作品は少ないんですが、これはその曲の一つ。
 以前、モーツァルト長調短調の音楽を書けたヒト、という中野雄の言葉を借りてみましたが、今回はまんま短調です。モーツァルト短調ってメランコリーと言うよりは、寂しさというか物思いに耽ってしまう感じなんですが、それが非常に強く伊藤恵のピアノからは聞こえてきた。
 それよりも特筆すべきは、献身的な伊藤の姿勢でしょう。完全に自分をフルネに委ねている。ピアニストならばカデンツァなどでちょっと自己主張をするところが、今回は全くフルネの音楽にシンクロしようとする姿が非常に印象的。あんなに一緒に合わせるのは並の集中力じゃ無理じゃないか?と思わせられます。なんといっても聴いてるこっちがそう思う程なんですから。あれだけやれたら本望だろうと思いました。


 後半のブラームス。ここでもテンポは総じてゆっくり。それでも、リピートは敢行しないのでだれることありません。弦が実に美しい響きを魅せます。本当にしなやか。それが、フルネの音楽と非常に親和性がある。とてもゆっくりとしたテンポにオケが真剣に食らいついていく。
 ゆっくり過ぎというのも緊張感が続かなくなってしまうものですが、全員がその音楽にハマり込んでいるため、だれないんですね。これは凄いこと。
 単なる、老人敬愛の精神だけじゃあんな演奏はできません。都響からもフルネと築き上げてきた信頼関係の上に、別れを惜しむ気持ちと最後を飾るにふさわしい演奏をしようという意志が漲ってます。これこそ愛ですね。本当に美しい。
 テンポがゆっくりだから当然スケールは大きいんです。でもって、終楽章などは堂々たるフィナーレを迎えます。この辺りで管理人はちょっと泣いてました。一聴衆でしかありませんが、その中の思い出と共に、この音楽空間に包まれることの幸福を思うと、感慨無量です。


 終わった後の歓声の大きさも凄かった。まさにメモリアルな演奏会になったし、管理人の音楽人生の忘れがたい演奏会になりました。

フルネ=都響名演集

フルネ=都響名演集

会場で予約してました。管理人は近くのCDショップで買うと思いますが、楽しみです。
ジャン・フルネ・イン・プラハ

ジャン・フルネ・イン・プラハ