お隣の危機を騒ぐより、絶対にやってくる危機。
気になる記事がいくつかあって、猪口邦子内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)が少子化対策のために出産費の無料化構想をブチ上げた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060114-00000007-san-pol
何の説明もなかったからか、そもそも財源的な裏付けがなかったからかはともかく、安倍晋三は否定してるが…。
猪口邦子は上智大で国際政治学(それも軍縮とか)をやっていた人間で、それ相応の著書もある。けど、少子化担当相としてどれだけの学識があるかは疑問が残る。
出産費用の無料化はやっても無意味だと思うし。
ライフスタイルの多様化は経済成長の証とも言える。なぜなら社会が発展した結果、様々なライフスタイルの追求が可能となるわけで、少子化は子どもが産みたくても産めない結果ではなく、そもそも子どもを産まない・産んだとしても一人で充分だ、という価値観が広まった結果だろう。
ここいらへんの関係はイングルハートの脱物質主義的価値観の指摘とたぶんにリンクすると思う。
あと、産んだ後にかかる教育のコストを考えると躊躇する、といった問題もあるし、社会が仕事と育児の両立が出来ないから産みたくても産めない、という社会背景もある。
そうした働く女性の育児環境を整えることを無視してなにをか況や、だと思うのだが…。 もちろん、伝統的な家制度の復活とか、阿呆な事を言っている一部の政治家は論外。彼らの問題点は「自分の体験を絶対化してしまう」ことにある。
例えば、昔は悪いことをすれば親に殴られて育った、等々。今の自分はそれがあってこそだ、みたいな事を言って、だから国民全体がそうするべきだ。という論理展開。
個人と全体はちがうことが分かってない。個人レベルでは確かに問題がない。各家庭の教育環境は異なるからだ。だから、自分の子どもや孫に自分がかつてそうされたのと同じように「躾」(大体彼らは育てるという発想ではなく、躾という言葉を好んで使ってる印象が強い)をすればよい。
その結果、節度を保つ人間になっても、暴力的な人間になっても仕方がない。
(これに対して、子どもの人生だから仕方がないといって無視することは出来ないとする立場ももちろんある。)
しかし、それを行政としての指針ないし強制させるのはやはり問題があるだろう。
医学でも、治療法が確立するためにはきちんと臨床をして「どんな医師が、どんな患者にやっても効果が見込める」から治療法が確立される。それと同様に、教育学行政も「どんな親・教師がどんな子どもにやっても成長する」という科学性が求められる。
もちろん、人間相手であるから「絶対」は無いのだが、それでも「相応」の結果が得られるような公教育でなくてはいけない。だから今まで蓄積された教育学や心理学の成果が求められるのだと思うのだが…。
閑話休題。
そんなわけで、少子化問題はもっとマクロ的なところに少子化になる要因があると気づいておかないと解消にならないのではないか?
その前提の上に立って、合理的で妥当な政策はないのか考える必要があるだろう。
これも話すと長くなりそうなので今日はこの辺で。
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今日の一枚。
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ただし、フランス人らしく、モダンな感じやエスプリが効いていて面白い。