あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

自分の世界を変えたいと願った芸術的欲求@都響定期感想

東京都交響楽団第621回定期演奏会Aシリーズ

別宮貞雄プロデュース <日本管弦楽の名曲とその源流2>

2006年1月24日(火) 19時 東京文化会館

指揮/湯浅卓雄
チェロ/山崎伸子

芥川也寸志:弦楽のための三楽章(1953)
芥川也寸志:チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート(1969)
プロコフィエフ交響曲第6番 変ホ短調 op.111

プレトーク別宮貞雄が語る「芥川とプロコフィエフ」(18:35〜18:50)


 先週に引き続き、今週も行ってきた都響定期演奏会
 都響定期演奏会東京文化会館のAシリーズとサントリーホールのBシリーズとに分かれていて、管理人はAシリーズの定期会員をしてます。
 プログラムは通常、A、Bシリーズ共に同じ。ただ、都響の場合、年間9回定期演奏会はあるうちの3回がA、Bシリーズでちがうプログラムを組むのが特徴です。
 1月の定期演奏会はまさにそのパターンで、先週のBシリーズで別宮貞雄メシアンを、今日のAシリーズで芥川也寸志プロコフィエフを採り上げました。
 管理人は、Bシリーズのチケットはないのにわざわざ先週行ってきた物好きだったというわけです。


 芥川也寸志(1925-1989)ときいて管理人世代はピンとこないものの、上の世代だとクラシックに興味がなくても案外知っている人が多いみたいです。それは芥川が単に作曲だけではなく、音楽を普及させるために音楽以外でも広範な活動をしたことによるものだといいう。
 付け加えておくならば、芥川也寸志羅生門や鼻なんかでお馴染みの芥川龍之介の三男に当たります。
 もっとも也寸志が2歳の時には父・龍之介は他界しており、彼にとってはオヤジはどんな存在であったのかはよく分かりません(『父や母のこと』でも読めば良いんですが…)。
 龍之介が生前集めたレコードに興味を持って、やがて音楽の道を志すに至ったみたいです。


 芥川也寸志のプロフィールはそれくらいにして、以下感想。
 弦楽のための三楽章、今日のプレトーク別宮貞雄(実は芥川也寸志より3つ年上)が「芥川くんの中でトリプティーク(この曲のこと)は一番出来が良い」と言っていた曲です。管理人は「交響管弦楽のための音楽」の方が好きですが、まぁ、好みの問題ってワケで…。
 芥川の作風は、オヤジが東京生まれの東京育ち、そして自身もずーっと東京にいたためでしょう、「都会的で、気の利いた洒落た感じ」(by別宮貞雄)の曲作り。
 師匠として橋本國彦や伊福部昭がいて、とくに伊福部にはネクタイの柄を真似たり、家のそばへ引っ越しをするくらい尊敬、傾倒していたらしいが、作風としては伊福部プラス「都会的で…」といった曲だ。
 伊福部が北海道出身で、きわめて土俗的な根底から湧き踊るようなリズムの反復だとすれば、芥川はモダンで洒落たリズムの反復が特徴。聴いていて非常にすがすがしい音楽とでもいえばいいのかな。
 湯浅の指揮もそうした芥川の特徴を存分に生かした解釈をしており、非常に好感。管理人は湯浅を初めて聴く(イギリスや関西が活動の中心)が、なかなかどうして良い指揮者じゃないか、と思わせられる。いっそのこと、都響はこれをきっかけに湯浅をつなぎ止めておくようにしたらいい。
 管理人もそうするように手紙でも書くか(笑い)。
 二曲目のコンチェルト・オスティナートは一転して暗めの曲。芥川作品で例外的に暗い曲ではないか?この曲について別宮は「なぜこうした曲を書いたのか動機は分からないが、作曲家として自分の世界を拡げたかったのだろう」という言い方をしていた。
 この後に作曲された曲はまたリズム感とアレグロ感あふれる曲を書いているから、ホントに真意はいかに!?である。


 後半のプロコフィエフは非常に良く演奏されていた。交響曲第6番は初めて聴いたがもっと演奏されてしかるべき充実した内容である。
 ソ連の作曲家に見られる社会主義的リアリズム(←ソ連政府の芸術への介入!)と古典的な要素が見事に融合して、前衛的すぎて退屈だ、ということがない。
 ちなみに別宮自身は芥川の作風に最も影響を与えたのはこのプロコフィエフではないのか?という作曲家のカンがあるらしく、この順番にしたという。
 ただ、この曲を聴いてしまうと、プロコフィエフの方が曲の内容が充実している印象は否めない。リズム感や曲の構成自体の明確さはありながら、じつは非常に内省的で音楽は奥深いものになっているのだ。
 それを湯浅の指揮が非常に良く描出している。湯浅自身はN響名誉指揮者だったロヴロ・フォン・マタチッチのアシスタントを務めていたこともあったらしく、嬉しいことに今回はその造形感の片鱗が伺えた。
 マタチッチも非常にスケール感が大きく、立体的な音楽を作った(録音でしか聴いてないけど)指揮者だったが、こんかいのプロコフィエフもまさにそうした演奏だ。
 厚みのある弦に、曲の盛り上がりにはしっかりと金管や打楽器を強奏させ、重量感と迫力をもたせている。それがプロコフィエフに非常に親和的である。
 前回は、終演後の充足感に欠ける構成だったが、今回は手応えあるプログラミングだった。

今回の曲は収録されてないものの、1000円で買え、お買い得。指揮は今回と同じ湯浅によるもの。
プロコフィエフ:交響曲1&6

プロコフィエフ:交響曲1&6

今日のプログラム曲。プロコフィエフってピアノ曲のイメージが強かったんだけどなぁ…。
ちなみに初演者は、ムラヴィンスキーレニングラード・フィルで同コンビによる交響曲第6番の演奏もあり。
音楽の基礎 (岩波新書)

音楽の基礎 (岩波新書)

芥川也寸志の書いた古典的新書。楽典とはちがうんだけど、充分勉強になる。