昨日か一昨日の新聞の記事より。といっても、ベタ記事の類だったんですが…。
リンク飛ばないので、著作権に触れない程度に要約。
国分寺市が、上野千鶴子を講師に招いて、人権講座の講演を頼んだら、都教育庁からクレームが付いたというもの。理由は「ジェンダー・フリー」だからだという。
ちなみに、なんでクレームがつけられるかと言えば、それは都の委託事業だから。
東京都は「ジェンダー・フリー」を使わない方針を決めているのでこうした問題が起こる。上野千鶴子は東大教授で、女性学(フェミニズム)の権威っていうと適当か。最近のあのヒトはフェミニズムそのものには興味がない感じもするんだけど。
都の方針は多分に都知事の影響だろう。あの人のアタマの中は未だに封建社会が残ってるから、それが施策にも出たということだろう。
別に、男が強いって思うのは勝手だし、思想の自由は尊重されてしかるべきだ。ただし、自治体の長としてそれで良いのか、とも思う。そーいうのは石原家とか小説の中だけにしたらいい。公私混同ってやつ。自分で「パブリックなことに対する認識が足りない」っていうけど、都庁に連日出勤しなかったり、今回の一件だったりとかく言ってる本人に一番認識が欠けてるのだから困ったもんだ。
選んだ都民が一番の問題なんだけどね。
管理人は間違いなく生物学上の♂だけど、あんまり「男はかくあるべし!」と絶叫するタイプは感心しない。自分に自信があれば、別にそんなことを言わなくても問題ないし。
管理人も男としてこう振る舞いたい、って思うが(すでにこれがジェンダーだということなんだけど)それを口にしたらお終いだろう。ま、個人的な美意識の問題ですが…。
それに、「性」の立場を強調するなら、その「性」が表象する「らしい人間像」に自分がならなくちゃいけないだろうに、残念ながらそういう姿勢は見られない。
彼らの文脈に即して極端に言えば「男なのに潔くない態度」とか。批判されて、開き直りとか逆ギレとか見ると、なんだこいつら口ばっかりだと思うんだけど、その人の中では、不思議なことに釣り合いが取れているらしい。
自分の内面に自信がないヒトが、その属性でもって自分の価値を高めようと必死になる姿は見ていて痛々しい。よくあるのが出自とか。
飲み屋とか行くと、自分の家のことばっかり(笑いのネタとしてじゃなくて)話しているヒトがいる。いや、それはあなた自身のコトじゃないでしょ?と思うのだけど、それを得意げに話されても、こっちは何とも思わない。
だから荷宮和子じゃないけど、そーいうことをいってるヤツらはインポなんじゃないかと思ってしまう。そんな…自分のに自信が無いからって。
お後がよろしいようで…。
- 作者: 竹村和子
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でも、最近のフェミニズムは、クィアとかセクシャリティとか進みすぎて、管理人の能力では追いつかない。本書も、入り口にしては難あり。フロイトの辺りを押さえておくと理解しやすいですよ。