ゴジラのような日本音楽界の巨峰@伊福部昭さん追悼
毎日の記事から。
伊福部昭さん 「ゴジラ」などの映画音楽、北海道の原野を思わせる雄大な民族色豊かな交響的作品などによって幅広い人気を持つ作曲家、伊福部昭(いふくべ・あきら)さんが8日、東京都内の病院で直腸がんのため死去した。91歳。自宅は世田谷区尾山台2の7の7。葬儀の日取りなどは未定。
北海道・釧路生まれ。北海道帝大専門部卒。アイヌ音楽や樺太のギリヤーク民族の音楽を研究、「民族の特異性を経て普遍的な人間性に至る」ことを作曲理念に据え、ほぼ独学で民族色豊かな作品を作り出した。1935(昭和10)年、「日本狂詩曲」でパリのチェレプニン賞に入選。同曲は翌年米国でも演奏され、国際的な脚光を浴びた。来日したロシア出身の作曲家、チェレプニンに近代管弦楽法を師事。「土俗的三連画」、「オホツク海」など独自の交響作品を次々に完成させた。
時代の趨勢(すうせい)にかかわりなく民族的な作曲姿勢を貫き、「釈迦」などを作曲。東京音楽学校講師、東京音楽大学学長などを務め、故・芥川也寸志、故・黛敏郎、松村禎三、故・石井真木、三木稔など多くの作曲家を育てた。
また、約400曲の映画音楽を作曲、なかでも54年、東宝映画「ゴジラ」では、重厚な行進曲風のテーマで強烈な印象を与え、以来「ゴジラ」シリーズの多くの音楽を担当、大きな人気を得た。
ここ数年、体調を崩していた。「ビルマの竪琴」で毎日映画コンクール音楽賞。紫綬褒章。勲三等瑞宝章。03年に文化功労者。【梅津時比古】
ほかにも
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060208-00000015-yom-soci
とか。
遂にこの日が来てしまったというべきか…。伊福部昭さんが亡くなった。
まずは心より合掌。素晴らしい音楽をありがとうございました。
伊福部さんの音楽は現代を生きながらにして「現代音楽」ではない音楽、といったら適当かな。ただ、生きながら、という言葉を過去形にしなくてはならないのが辛い作業ではありますが…。
伊福部さんは二重の意味で中央と地方という関係が常にあったように思う。
まずは、西洋音楽という分野における中心たる「ヨーロッパ」と周辺たる「日本」。さらに日本の中でも西洋文明の輸入口であった「東京」に対して、開拓使が置かれ、まだまだ広大な原野が拡がった「北海道」という中心と周辺の関係。
しかし、そうした関係にあっても伊福部さんは自身の作曲理念をブレさせず、それを突き通した。その点がこうして今でもその曲が不滅の生命力を持つ理由だろう。
新聞にも書いてあったが、「民族の特異性を経て普遍性に至る」という作曲姿勢に、そのことが集約されるのではないか。伊福部さんの音楽を聴けば分かるが、そこにあるのは必要に繰り返されるオスティナート(オスティナートという言葉自体が音型反復という意味なんだけれどね)と非常に土俗的なリズム。
特にアレグロ楽章はその傾向が強い。マリンバとのラウダ・コンチェルタータの終楽章やシンフォニア・タプカーラの終楽章(こっちはヴィヴァーチェだけど、ほぼ同じと考えて良い)はその内在するエネルギーが爆発して聴き手に凄いインパクトを与える。
現代音楽が、シェーンベルクの十二音技法やストラヴィンスキーの新古典主義などの流れからどんどん進んでいって、「音楽」からは外れいく(と少なくとも管理人は思っている)時代趨勢の中で、どの民族であっても「音楽」に託す根源的な精神を伊福部さんはすくい上げ、作曲に反映させていったのではないだろうか。
ややもするとこの話はプリミティブ(primitive)なモノ、さらに言えばレヴィ・ストロースの様な方向へと突き進んでしまいかねないんだけれど、そこまで深くは考えなくても、音楽が「音楽」であるためのその精神の根幹を表現していったように思う。
太古から人間が喜びを体で表現していた時代、そうした時代から音楽はあった。その音楽の持つ生命力を伊福部さんは五線譜に表現していったのではないだろうか。だから伊福部さんの音楽には野太い生命力が漲っている。
武満徹の日本音楽、とりわけ東洋の時間感覚を西洋音楽による書法を以て表現した功績は大きい。ただ、そこへ至るまでには、伊福部さんら先人が時代制約の中で築き上げた知的遺産の積み重ねがあることは間違いない。
それを考えると、長齢を得ることが出来た伊福部さんが後世に残した財産は計り知れないほど大きなモノがあるだろう。
- アーティスト: ロシア・フィルハーモニー管弦楽団,伊福部昭,ドミトリ・ヤブロンスキー,エカテリーナ・サランツェヴァ
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