あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

何を考えているんだか…。

 そういえば、教育基本法の改正云々、という話題もあるようですね。
 疑問点は、現在の教育に問題があるという点では識者や市民の意見は一致しているようだが、その解決に教育基本法改正というのは果たしてどうなのだろうか、ということだ。
 多分、改正派のほとんどは、教育基本法に何が書かれているか分からずに改正しようと考えているのではないか。どうもそう思わざるを得ないフシがある。


前文と第一条を引用してみよう。

われらは、さきに、日本国憲法 を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法 の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


第一条 (教育の目的)  教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 とある。別段、この文章を読んでみたところで教育基本法に欠陥があるとは思わない。
 真理と正義を愛し(←虚偽と不正を愛して欲しいのか?)、個人の価値をたつとび(←自由の行使に他者の存在を前提とするのは当然)、勤労と責任を重んじ(←彼らの好きな言葉はちゃんと入っている)る国民の育成である。
 権利と自由ばかり主張した…と仰る議員・識者がいるけれど、この第一条の目的を読めば、そんな主張は全くの誤りであり、これを字義通り解釈すれば社会に期待される人格の形成にその目的があることくらい分かりそうなものだ。
 とは言っても、分からないんだろうなぁ。別に国語の能力がないとかじゃなくて、彼ら・彼女らにとってみれば「何が書かれているか」が問題ではなくて、「戦後民主主義の一環で制定された」ことに問題があるのだろう。
 個人的な見解としては改正の必要はないと思う。とりわけ、前文、目的についてはね。理由はそこで書かれていることが現在であっても価値ある理念だろう。
 書いてあることに不都合があるなら、直せばいいけど、不都合がなくて、良いことが書いてあればそれでイイじゃないか。そんなことにエネルギーを使わないで、もっと別なところにエネルギーを使って欲しい。
 「総合的な学習」を導入したが、科目が増えるにもかかわらず担当する教員を補充しないから、現場の教員は自分の専科の授業研究の時間を割いて、総合的な学習の研究をしている。これはどう考えてもおかしな話だ。
 学校を取り巻く社会環境が変わっているのに、それをサポートしてこなかったことの精算を教育基本法の改正で済まそうと考えているなら、無駄なことだろう。