あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

現代音楽の守護者へのオマージュ〜岩城宏之追悼

 昨日の朝刊で、指揮者の岩城宏之が亡くなったことを知る。
 本来ならのだめの感想で止めるつもりだったんですけれど、やはりオマージュを。


 正直に言えば、管理人は岩城の熱烈なファンというわけではなかった。定期演奏会に立てばそれはもちろん聴いたが、在京オケを振るたびにチケットを買いに並ぶ、というまでではない。なので、生前の岩城を聴く機会は実のところ数回に過ぎなかった。
 もちろん、これは結果論になってしまうのだが、まだ73歳ということもあって、管理人の中では岩城は「ようやくこれから」の指揮者だったことは間違いない。
 「芸は70を過ぎてからでっしゃろ」と桂米朝に語ったのは朝比奈隆だった。朝比奈の実体験として指揮者が最高に輝くのは70歳を過ぎてからというのがあったのだろう。それを考えると岩城はこれからいよいよ…と言うときに突然逝ってしまった気がする。


 岩城宏之の他界によって、戦前・戦後にかけての楽壇を知るヒトは本当に少なくなった。もちろん、まだ若杉や外山が控えてはいるが、いわば黎明期の日本音楽界を肌で感じるヒトはいなくなったのではないだろうか。
 朝比奈はヴァイオリニストから指揮者になった。岩城も打楽器奏者から指揮者になった。彼らは指揮者になろうとも、当時は音大に指揮科なんか無かった時代。いわば「ガクタイ」上がりの指揮者として、その言葉には歴史を見てきた者の重みがあったと思う。作曲から指揮に移った山田一雄外山雄三とはやっぱり系譜が違う印象が強い。


 新聞でも触れられているとおり、岩城と言えば現代音楽だと思う。外山雄三からみれば「本性に合わなかったのでは」と言うのかもしれないが、音楽の友などに語る岩城の意思としては、現代音楽を積極的に演奏することにクラシック音楽発展の重要な意義を見つけていたに違いない。
 何千曲もの現代音楽の初演をこなすのは並大抵のことではないだろう。ベートーヴェンマーラーはすでに曲のイメージというものが存在する。時代様式やその作曲家独特の型式。確かなものとして演奏できる強みがあるだろう。(反対にそこが古典の難しさなのだろうが)
 しかし現代音楽、しかも初演者は曲に対して先行するイメージが全くない。送られてくるスコア(総譜)を読み込みながら再創造を行うのだ。そこには時代様式や作者独特の型式など分かる余地がない。殆ど無に近い状態から、再創造をするそのエネルギーは本当に大変だったと思う。
 ただ、そのおかげで今日様々な現代音楽が存在しているのだ。恐らくそのうちのいくつかの曲は未来の古典になるかもしれない。
 久しぶりに現代音楽を聴いてみようか…。

 今でも、東京フィルでハリー・ヤーノッシュの演奏の合間に(喉頭ガンの手術をした後の)しゃがれた声で管理人ら聴衆に説明していた姿を思い出す。本来の劇型式のこの曲を知っている氏ならでは、だな。と感心することしきりだった。あと、オーケストラ・アンサンブル・金沢の東京公演。アンコールで岩城自らがトライアングルを鳴らし、オーケストラ編曲版・トルコ行進曲ベートーヴェン)を演奏していた。
 もうあの指揮姿を見ることは出来ない…。
 
 合掌。

―岩城さんは邦人作曲家の演奏にとても意欲的ですね。現代の作曲家の作品を演奏するというのは、今後のクラシックを作るためのものと考えてよろしいでしょうか。

 ええ。太鼓たたきのころ、当時は一生同じ楽器しか演奏しない人ばっかりだったんですね。僕は高校のときから木琴もやっていた。僕が多分、第1号のマルチ打楽器奏者です。だから、日本の作曲家たちにとても大事にされて、何でも打楽器が要ると僕に頼んできたんですよ。それで、日本の作曲家たちとずっと付き合っていた。それで指揮者になった。一応、デビューした。N響定期演奏会をやる。これで大体指揮者にはなれたから食えるだろうと。

 ふと思ったのは、何だか西洋の200年前の正装だか知らないけれども、燕尾服という変なものを着て人前に出て、200年ぐらい前の西洋のおじさんがつくった曲だけを真似してやって、一回しかない一生をそれに使っていいものだろうかと。僕はたまたま偶然日本人に生まれて、西洋音楽は大好き。要するに、日本人というのは何であるべきかということ。

 たとえば日本人として、現代の日本人は何が自然か。ちょんまげを結って相撲をやっている、あれも自然ではないでしょう。それから観世三兄弟とはみんな仲がいいんだけれども、世阿弥からの伝統の能を引き継いでやって、公演が終わったら、僕たちと洋服着てステーキ食べに行っているわけでしょう。だから、どっちがどっちなんだろうと。日本人って何だろう。僕はいま言った燕尾服とやらを着て、人前でジャーンとやって、食えそうですよ。だけど、これだけでいいのか。他に何をやろうかと。

 色々迷った結果、現代の我々、あるいは僕がいま生きている日本の作曲家の作品をやって、お客さんに聞いてもらって、たくさんやって、そこから自然に選んでもらって、次の世界に送ってもらう。ベートーヴェンだって同時代の作曲家の中から無数の聴衆が選んできて、残してきたものです。聴衆こそが神様で、彼らが結局選んだものが古典だということです。

 そういう作業を続けなければ、200年前にできたのを楽しんでいるだけでは、客もそうだし、そんなのしかやらない演奏家も罪ですよね。僕だって、どうしても好きになれないというのもあるわけですが、とにかくインフォメーションで聞いてもらって、未来に残してもらおうと。僕の指揮者としての主な目的はそれですね。たまたま日本に生まれたんだけれども、他の国の作曲家の曲もずいぶんやっています。いい曲も少しはある。そのためにやっているようなものです。

 なぜか急にベートーヴェンになっちゃったけれども、これは僕の思ってもみない展開です。やりだしちゃったら、すごいと思っちゃったことも確かですけれどもね。

 僕は多分二千何百曲という初演をやっているから、飛び抜けて多いでしょう。だけど、非難も常にされてきた。たとえばメシアンのクロノクロミーを日本でやった時のプログラムは、メシアンのクロノクロミーの初演とチャイコフスキーの4番。そうすると、日本の批評家がけなす。何ていう無神経かと。メシアンチャイコフスキーなんかを一緒にしたと。僕はチャイコフスキーの4番を聞きたい人たちにメシアンを聞かせたいんですよ。また、「新世界」を聞きたくてやってきたたくさんのお客さんに、武満を聞かせたい。そういうプログラムをずっとやってきた。僕の定期というのは、日本の新曲などが必ず1曲か2曲あるものだと。だから、実にお客さんが慣れてきたというかな。

 結局、僕たち演奏家という商売、特に指揮者は、いま生きている作曲家たちの作家活動への奉仕が最も大切だと思います。でも、それをやるためには、ある意味、実力も人気もあって、どんな曲でもお客の呼べる指揮者でなければできないんですよね。やっぱりあいつの「新世界」は絶対聴きたいとか、あいつのチャイコフスキーはというファンがいなければ、オーケストラにも雇われないし、何にもならない。

 僕はいま日本の指揮者の長老群の一人でしょう。上がいなくなっちゃったから。特に現役の指揮者たちに言いたいけれども、フィガロやるんだったら、1曲新しいのをやれということ。なぜ1曲もやらないのかと。頼まれるとたくさんやっているんですよ。頼まれないで、どこかの演奏会で自発的にやれと言いたい。1曲ぐらいやったからって、お客は同じですよ。この人たちに聞かせて、耳慣れてもらえばね

東京文化会館HPより


 岩城と言えば現代音楽。武満は好みの作曲家ではないけれど、小澤征爾よりも岩城の方がこの曲のイメージをより掘り下げているように思える。ちょっと勘違いしていたようです。申し訳ありません。後日訂正で。

 N響を振ったベートーヴェン。非常に端正でオーソドックスな指揮ぶり。この演奏を聴いたとき、確かに物足りないと思ったが、80くらいになったら素晴らしいんじゃないかなぁ…なんてかつてぼんやり思った。

オーケストラの職人たち (文春文庫)

オーケストラの職人たち (文春文庫)

 クラシック音楽家でエッセイを書くのは作曲家の團伊玖磨とピアニストの中村紘子と指揮者の岩城宏之だった。これで現役なのは中村紘子だけになってしまった。本書はオーケストラの裏方にスポットを当てた、「舞台裏」の話。