あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

甲論乙駁@サッカーも少年犯罪も

  • サッカー編


 サッカー、残念でした。せっかく朝早くから起きて見たにもかかわらず、ガックリな展開。代表監督や川淵チェアマンの進退問題に発展するのか、スポーツ紙は早くも「次の監督」モードですね。きっとまとまらないんだろうなぁ。それでも取り敢えずジーコお疲れ。
 巻も試合出られて良かったね。べつに巻のファンでもないけど言ってみる。
 でも、今回はちゃんとした形で得点が入ったじゃないですか。玉田のシュート。たまたまうっかり得点したじゃなくて、きちんとした形での点の取り方。
 そんな感じで管理人もサッカーできないにも関わらず、評論家モードですね。この時ばかりは「一億総評論家」となってしまいます。やむを得ないことですが…。
(プロが大衆から評価を受けなければならないのは後日改めて)
 個人的には川口のCMが増えそうな予感。
 

  • 少年犯罪編


放火殺人で高1長男逮捕 「成績、父親に言われた」


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060622-00000263-kyodo-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060622-00000070-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060623-00000022-jij-soci

 奈良で起きた火災事件は長男の放火という、何とはなしに予感していた展開へとコトが進んでいてイヤな感じ。
 新聞には「少年法の厳罰化も効果無く」といった見出しが出ていたけれど、「少年法の厳罰化→抑止力の発生→少年犯罪の減少」という連鎖は本当に起こりえるのかどうか。
法務省

 犯罪白書を読むと少年犯罪のうち、殺人事件というのは近年一貫して低い水準にある。それは別に少年法の改正に伴う厳罰化が行われる以前も以後も変化はない。もっとも、凶悪犯罪は16歳から刑事事件として扱われることになっているので、単純に比較は出来ないのだけれどね。
 そこから推測するに、これ以上の厳罰化をしようがしまいが少年犯罪の発生件数は変化しないのではないだろうか。
 少子化とはいえ、2000万人以上いる20歳未満の「少年」が殺人を犯すのが100件に満たないというのは、どうなのか。極小値に近いのではないか。
 どんな成熟した社会であっても犯罪は存在するし、ゼロにはならない。


 おそらく最近の「少年犯罪が増加した」という根拠のないイメージは「犯罪をしそうにない子どもによる犯罪」という側面が大きいのではないだろうか。
 犯罪白書では犯罪少年の偏差値や家庭環境などが記載されることがないから、あくまでも勝手な推測なのではあるが、「恵まれた家庭」だったり、「進学校に通っている」「優等生」という世間一般的には犯罪とは無縁であると考える少年が犯罪を犯すことに強いインパクトを受けているのではないだろうか。
 その裏返しには、いわゆる「アタマ悪そう」な「素行不良な」少年は犯罪をして当然という意識がどこかにあるのだと思うが…。


 仮にそうだとしたら、いくら厳罰化をしたところで抑止力にはならない。先に挙げた「出来る」子たちは自分の罪の大きさを自覚しているし、それによってどんな罰を受けるかもおおよそのところ見当が付くだろう。
 そーなると、自体はますます厄介だ。単純に厳罰化をしたところで効果が見込めないとすれば、非常に抽象的な解決法を模索するしかない。例えば、教育システムとか、社会システムとかね。しかも、そうしたプログラムを実行したところですぐに効果は現れないし、そのプログラムが本当に犯罪の低下に効果があるのか、直接の因果関係を調べることすら難しい。

若者の法則 (岩波新書)

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生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

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 どうも、ポストモダンの時代にあっては「右肩上がり」で成長していくというサクセスストーリーが描けない閉塞感があるのかもしれないし、その意味で大文字の「希望」の見つからない時代なのかもしれない。ともかく国内政治にしても国際政治にしても「価値観」が大きく転換する時代であって、どの方向を志向するか、惰性で判断できない難しい時局面にあるのだと思う。
 (このエントリもとても抽象的な話になってしまったけどね)

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く

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