あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

橋本龍太郎に対する一考察


 ニュース速報で橋本元首相の死去を知る。ヘビースモーカーだったようなので確かにかくありなん。とも思ってしまった。
 現首相による一連の「改革路線」の実を言うと先鞭をつけたのは橋本内閣の時ではなかったのだろうか。橋本内閣時代に行われた1府12省庁への省庁再編という「小さな政府」への方向転換は、小泉内閣の登場によってさらに加速度を伴って進んでいったといえるだろう。
 それに、自民党の首相とはいえ、橋本内閣期はちょうど「自民・社民・さきがけ」の3党による連立内閣によって政権が運営される時代であった。自民党単独であれば、常に党内派閥による権力闘争が繰り広げられた恐れがあり、「一匹狼的な」橋本が総理大臣の座を2.5年に渡って維持していけたとは思えない。
 しかし、皮肉なことに自民党内での対立以上にやはり社民党やさきがけとの政策間対立があったから表面化しなかっただけではないだろうか。もっとも「自社さ」連立時代は野中広務亀井静香、あるいは加藤紘一など「保守本流」(亀井は違うけど)や自民党的な「リベラル性」をもったグループが中心になった。憲法外交問題では三党の間では大きく意見を異にするものの、政府の役割を大きくみる考え方はとりわけ自民と社民両党には共通していたように思われる。
 そうであったがゆえに、また、本人も中央と地方の格差是正には肯定的だったフシがあるから、結局のところ「火だるまになってもやる」と言った行政改革は中途半端な結果に終わったといえる。その意味で言えば、小泉とは異なり、「自民党的しがらみ」からは抜け出ることが出来なかった。
 さらに得意の経済政策において、彼は判断を誤ってしまう。景気が回復するかに見えた矢先の消費税率の値上げによって、日本経済は急速に失速してしまう。「失われた10年」に象徴されるその後の経済の低迷に決定打を与えてしまった責任は大きなものがあるだろう。
 なんだか、江戸後期に行った水野忠邦による天保の改革みたいな印象を受けた。


 そんなわけで橋本内閣に対する評価は必ずしも高いものではない。しかし、日露外交の推進は評価されるべきだことだとおもう。さらに、パラリンピックに参加する日本選手団がオリンピック日本選手団と同じ制服(ユニフォームというのかな?)を着られないコトを知ったとき、一喝してパラリンピックに参加する選手全員に同じ制服が着られるように取りはからったことなど、厚生族議員として、ハンディキャップを持つヒトや社会的に恵まれないヒトに対する理解と思いやりがあったことは一匹狼といわれた政治家の一側面でもあるといえるだろう。