あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

日本文化と西欧文化@朝比奈隆指揮ベートーヴェン「英雄」を聴く

ベートーヴェン:交響曲第3番
 うっかりしていたけれど、先日(9日)は朝比奈の誕生日だったりするわけで、大体、本拠地の大阪この頃に演奏会があったりした。もちろん、東京の北の植民地と化している某県某市に住む管理人は当然行くことは出来ず、どーなんだろーなぁ…と想像したモノだけれど…。
 とはいっても、大阪での公演の後、2週間弱くらいの間隔を置いて大阪フィル東京公演があったから管理人としてもこの機会を逃さずコンサートに行ったモノだった(なぜか懐古調)。


 早い話が、「朝比奈隆、生(1908)」ってことで、それにちなんで朝比奈の演奏したCDを聴いたってワケです。どーでも良い話ですが、7月7日の七夕は「グスタフ・マーラー、生(1860)」なのです。七夕って日が悪いなぁ…。エントリ書こうとしてもやっぱりネタが七夕になってしまう。
 個人的には七夕に誕生日って割合に損だなぁ…と思うのですが。同じ理由でクリスマスとか正月とかの年末年始に誕生日のヒトも可哀想。誕生日のお祝いが霞んでしまいそうで…。あと、年度末とかね。忙しすぎて周りが祝えないっていうのはありそう。


 閑話休題
 ともかく管理人は2000年7月21日のサントリーホールでのコンサートに居たわけです。なので2日後にも同一プログラムで行われたこの演奏を聴くと当時の思い出がよみがえって、なんとも言えぬ気持ちになりますね。


 ベートーヴェン交響曲の中でも年末になると色々なところで演奏される「第九」や、冒頭が非常に有名な第5番「運命」、第6番「田園」なんかは有名ですね。それに比べると、第3番「英雄」は名前だけは有名でも曲自体はクラシック音楽を聴かない人には馴染みが薄いかもしれません。
 管理人も始めて「英雄」を聴いたときは、「運命」の方がイイ曲だと思った。でも、聴き及ぶに連れて真価を発揮するのは「英雄」かなぁ…。と個人的には思います。「運命」は非常に曲に対するエネルギーが凝縮されている感じ。でも「英雄」はエネルギーを解放している。ベクトルの向きが反対になっている様な印象を受けます。あくまでも管理人の直感ですが。


 ところで、この朝比奈の演奏を聴きながら、フルトヴェングラーの演奏を聴くと、テンポなどは確かに異なるモノの、その情緒のダイナミズムというかその時代を特徴づけるようなエートスが朝比奈と非常に似ている。いや、順番が逆か。フルトヴェングラーの演奏に朝比奈が似ているなぁ。と、はじめて両者の演奏を聴き比べたときに思いました。
 確かにフルトヴェングラーと朝比奈は世代も違えば出身地も違う。ドイツ音楽の伝統の(最後の)集大成ともいえる指揮者と、片やクラシック音楽が入ってきて日の浅い、ヨーロッパの伝統そのものの存在しない日本の指揮者とではそもそも比較対象にならないような印象さえ受けます。
 従来の朝比奈を論じたものももっぱら「西洋」と「日本」との比較において論じたものがほとんどと言っていい。曰く、日本人たる朝比奈には西洋音楽の伝統が分かっていない、と言ったものばかり。文化論に良く見受けられる「日本」と「西洋」を比較してその相違点を指摘するお決まりの(それはそれで重要だけど)方法論です。
 しかし、管理人が感じたこの類似感は錯覚なのか?といえば、やはり「Nein」と言わざるを得ない。どうも、論者の多くが日本と西欧という空間軸ばかり強調し、時間軸というモノに対してあまり注意を払っていないように思えるのです。つまり、明治政府は近代化の過程で様々な学問や制度の範を列強に求めました。とりわけプロイセン・ドイツからは学問分野で非常に多くを学んだことは当時の帝国大学教官の留学先などをみても明らかでしょう。
 つまり、当時限りなく少ない日本のエリートの世界ではドイツの精神文化というものがその限られた空間でのみ展開されていたのではないのか?後に、ロシアから亡命し、朝比奈の師となるエマヌエル・メッテルにしても、ロシアに存在した19世紀ロマン主義を自らの素養としていたのではないか。と思うのです。
 つまり確かに空間的には隔絶した日本と西欧ですが、西洋的エートスが時間的にはズレながらも日本の一部世界に伝播していた、と考えられるのではないか。ちょうど柳田國男の「蝸牛考」のように周縁論的発想が出来るのではないか、と思うのです。儒教がより本来の形で残ったのは発祥した中国ではなく、伝播した朝鮮半島においてであったように。


 そう考えると、時間軸で考えれば実は両者には共通するエートスが存在しうるのではないか?と思っていたりします。全然まとまってませんが…