あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

その溝は埋まらない。

 筑紫哲也NEWS23のマンデープラス。案の定、というかやっぱり靖国問題を持ってきた。
 ま、皮肉を言えば、こういう機会で採り上げないと60年前に戦争があったコトなんて忘れちゃう人達がいるだろうから、認識させる上で採り上げるのは意味があると思う。
 出演者は姜尚中宮崎学上坂冬子所功の4人に筑紫。
 京都産業大教授で靖国神社総代を務める所が富田メモをねつ造でない、と言っていたのには驚いた。都合の悪いメモだから、その存在を認めないというのかと思ったら、そんなことはなかったので意外な感じを受けた。もちろん、メモに書かれた真意はよく検討する必要があると言っていたけど。


 おおよそ予定調和的に進んでいたけれど、最後にゴッチャになったところはA級戦犯合祀のところ。絞首刑にされた=罪を償った、から「一件落着」してA級戦犯を合祀しても何ら問題がない。(従って参拝しても問題がない)とする上坂に、姜はそれでは東京裁判サンフランシスコ平和条約批准した日本国の行為と整合しないし、戦没者遺族として参拝する市井の人々は問題ないがそこに総理大臣という国を代表する人物が参拝するとなると、それまでの日本政府の立場との整合性がとれなくなってしまうという。
 ほんとは姜尚中はもうちょっとそのあたりのロジックは複雑なんだけど…。


 ただ、このあたりの話を聞きながらぼんやり思ったのは、むしろ上坂冬子の立場というのは日本遺族会の立場ともまた違っていて、どちらかと言えば靖国神社に近い立場だと言える。日本遺族会は、会長の古賀誠にしてもそうだけれど、心情的には戦没者は戦争の「犠牲」で、その犠牲を招いた政治ならびに軍事指導者とは一線を画していると考えられる。
 それに戦場で斃れた者たちが祀られるところであり、裁判中の病死や処刑者は果たしてこの範疇に含まれるのかどうか、という問題もある。


 しかし、今日の上坂の話を聞く限りそういった信条や国際社会・近代国家のあり方というのとは一切超越した、処刑されれば罪を償ったことになるのだから「一件落着」という、まさに必殺技的なロジックで全て解決してしまう。
 ここにいかなる論理的説得も不可能である。だって、イスラム過激派とユダヤ教で争うレバノンイスラエルのように、論理を超越したところに自らの論理をおいてしまっているから、説得も歩み寄りも一切不可能である。逆に言えば上坂は現実の政治判断とか、近代国家のあり方という「現実」に拘束されていないとも言える。まことに珍しい「ノンフィクション」作家だ。


 従って、実は今日のパネリストとして上坂を選んだことがそもそもの間違い、とも言える。上坂は「遺族」の立場でなくて「上坂」の立場であって、果たしてこういうモノの考えをするヒトを代表のようにして取り扱うのは、戦没者の方々にもまたその遺族の方々にも非常に非礼な気がした。