あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

血を流した末に手に入れた@樋口陽一『日本国憲法――まっとうに議論するために』 

 4月30日のエントリ(id:takashi1982:20060430)で紹介した長谷部恭男『憲法とは何か』に続き、法律を学ばなかった人でも分かる様に書いた、憲法を知る入門的な本。
 長谷部恭男はまだ50代になったばかりの軽妙な文体で、言わば「若い世代向け」の印象を受けた。もちろん長谷部自身が若者に迎合している、と言うのではなくて文体が今のヒトの感覚と非常にマッチしている(だから読みやすい)のだ。


 一方の樋口陽一は今まで東大や早稲田で教鞭を執った(現在は退職しているはずでは)憲法学界を代表する憲法学者であり、長谷部とは二回りほども歳が離れていると記憶している。
 そんな経験を積んだ老師(樋口陽一)が「あたかも」憲法について知らない人達を前にして噛んで含めるように説明しているのが本書である。
 だからと言っては何だけれど中高年のヒトには非常に読みやすいし、説得力を持つ本だと思う。全編を通じて諭すようにレンガを一つずつ積み上げていくような語り口は穏やかながらも含蓄溢れ、読み手の教養水準も上がったような気がしてしまう。そういった文章を書く世代であったと理解すればいいのだろう。
 だから中高年のヒトが憲法について読書会でもしようと言うのなら、また憲法について何か本を読みたいと思うのなら、管理人は間違いなく本書を推薦する。政治学の観点からみても憲法成立までの歴史やその意義について歴史事象や思想家などを絶妙なバランスで採り上げており、次のステップへと学習を進めるにも最適である。


 内容は世界史的観点から憲法の成立の意義を説き、「人」として尊重されるということはどういうコトかというのを人権を通じて考えていく。そして公共社会を創る市民としての権利はどのようなモノを採り上げ、日本国憲法特有の九条をどう理解するか考えるヒントを提供している。


「日本国民は、…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」て、「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定」したのでした。だがその主権者である国民が戦争をしようとすることがない、とはいえないでしょう。そうです。だからこそ、その場合を想定してあらかじめ国民自身を縛っておこうというのが、憲法九条なのです。
 (中略)
 憲法前文は、「平和のうちに生存する権利」に言及しています。かつては国家の政策遂行の手段にほかならなかった戦争と平和の問題を、国民ひとりひとりの生存にかかわる権利思想の基礎のうえに置き直したという点で、画期的な意味を持つ文言です。
(136〜142ページ)


 日本国憲法が九条を持つ意味を立憲主義の観点から考える上で非常に示唆的な文章だ。シンプルに表現すると確かにこの通りだろう。
 実際には5年ほどかかったフランス革命だが、1789年7月14日(現在フランスでは革命記念日として祝日)をフランス共和制の象徴とみなすように、日本においても1945年8月15日というのは戦後民主主義の出発点とみなしている。(これには丸山眞男を始めとする知識人たちが敢えてこの日を原点と捉えたことにもよるのだが…)
 その意味において、1945年8月15日の経験こそが日本国憲法へと結実し、むしろ平和への思いの原点へと転換される。だからこの日を考えることは、実のところ日本国憲法の理想とするところを考える重要な日でもある。
 欠点を強いてあげるならケルゼンの説明が舌足らずで誤解を与えてしまうかもしれないが本書の存在はそうした8月15日と日本国憲法との関係性にも気づかされる視座を与えてくれる。

オススメ度→★★★★★

丸山眞男 8・15革命伝説 (人間ドキュメント)

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8月15日を全ての出発点と「みなした」丸山眞男という視点で書いてある。管理人もざっと読んだだけですが…。