あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

竹中平蔵の辞職にみる先見性と議員としての職責


 経済的にはともかく、政治的にはどうなのかという問題

竹中総務相参院議員辞職を表明
2006年09月15日12時49分
 竹中総務相は15日午前の閣議後の記者会見で「新内閣発足で大臣を辞するが、その際に参院議員の職も辞したい」と述べ、26日の小泉内閣の総辞職とともに、参院議員を辞職する考えを表明した。会見に先立ち竹中氏は、首相と会い、直接この考えを伝えた。
 竹中氏は04年7月の参院選で初当選。竹中氏は会見で「首相にも理解をいただいた。小泉内閣が終わるのに伴い、政治の世界での私の役割は終わる。今後は民間人の立場で、日本のために貢献したい」と語った。自民党総裁選では安倍官房長官に投票すると明言した。
 竹中氏は、小泉内閣が発足した01年4月、慶大教授から経済財政担当相として初入閣し、小泉首相が進める「構造改革」の旗振り役として経済財政諮問会議を取り仕切った。のちに金融担当相も兼務し、銀行の不良債権の抜本処理に取り組んだ。首相が「改革の本丸」と位置づけた郵政民営化では、担当相として法案成立に力を尽くし、昨年10月の内閣改造総務相に就任した。
朝日新聞より(http://www.asahi.com/politics/update/0915/003.html

 このニュースを読んで、まるで江戸時代のような錯覚に襲われた(笑)。
 江戸時代も、将軍の代替わりで老中たちの勢力関係が一気に激変したことはしばしばである。6代家宣、7代家継の信頼篤く「正徳の治」を行った新井白石も8代吉宗に代が移ると失脚する。往々にして、自己で築きあげた権力基盤がない場合、庇護者がいなくなった場合、一気に失脚するのは歴史の示すとおりである。


 竹中の場合、権力の源泉は小泉との親密さと、それにともなう改革の推進にあった。しかし、小泉の任期が9月20日で終わりになり、今年に入ってからはレームダック化が進んでいる中、もはや自民党に残ったところで先が見えないと判断した結果だろう。
 喩えて言うなら、竹中は月で小泉は太陽だというわけだ。小泉という後ろ盾が無くなってしまえば、竹中は一介の一年生参議院議員に過ぎない。
 反対に言えば、そうした先を見越して現時点で進退を明言したのだから、その判断は政治家と資質の一つとして評価できる。
 ただ、管理人からすれば「こうなることは始めっから分かっていた」ことだと思う。にもかかわらず、前回参議院選挙に出馬したのだから、竹中「参議院議員」としては結果として有権者を欺くことになる、と批判されてもそれは仕方のないことだろう。
 参議院議員は任期6年、解散無しだからその6年間の任期は保証されるわけだ。小泉自身は総裁選三選出馬はないということを明言していたのだから、小泉退陣後の身の振り方も当然念頭に置いていなければならない。それは、議員個人の問題と言うよりも、有権者との関係においてである。
 自民党は議員政党だから民間大臣の竹中は小泉からの信頼だけに依拠せざるを得ない弱い立場にあったことは推察される。自民党内での政策の事前審査は強力だから、議員になることで対抗しようとしたのだろう。それゆえに竹中は参院選期間中、改革推進を旗印に選挙でアピールしてきた。
 にもかかわらず、である。
 大臣としての職責は確かに果たせたのかも知れない。ただしそれは任命権者(総理大臣)との関係においてである。しかし、参議院議員は国民との信託関係にあり、その職責を充分果たしたとは言えない。
 結局管理人は何が言いたいかと言えば、竹中平蔵はやっぱり経済学者であり政治家ではないということに尽きる。そのあたりの国民と議員の関係、ひいては民主主義観が竹中にとっては軽いものとみなしているのだろうなぁ…と思えてくる。

江戸城の宮廷政治 (講談社学術文庫)

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