あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

俺の人生つまらなくなんかねぇ

 家に帰ったらクレヨンしんちゃんの「モーレツ!大人帝国の逆襲」がやってた。前に弟がレンタルショップで借りたのを一緒に見た記憶がある。
 ALWAYS3丁目の夕日もそうだけど題材となる60~70年代の日本は確かに「幸せな時代」だったと思う。現代思想の言葉を使えば「大文字の歴史」が存在した時代だと言える。


 高度経済成長にあって「今日よりも明日は良くなるに違いない」という希望を純粋に信じることが出来た時代。三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)や3C(カラーテレビ、クーラー、カー)といった、それまでの生活を劇的に改善する商品が次々に生み出され、そうした消費財の購入→生活水準の向上が「家庭の目標」としてハッキリ描けたというのは確かに物質主義的ではあるが分かりやすかったと思うし、人々はそれに向かって努力できたと思う。
 また、都市化は始まるものの、それほど豊かであった訳ではなく(従って助け合う必要から)、町内会などの地域社会(地域コミュニティ)はまだ健在であったから、そうした隣近所の繋がり・人間相互のつながりがまだ濃厚であった。
 それを考えると、この時代というのは戦後史の中でも幸福な一時期であったのだろうな、という見方はできると思う。(ただし今が不幸だというのではない)


 だけど、野原一家はそうした幸せだった過去の中に暮らすことを拒否して、21世紀を生きることを決意する。映画の終盤で敵のケンが父・ひろしに「(恐らく21世紀の未来を指して)つまらない人生を送るのか」という。それに対してひろしは「俺の人生つまらなくなんかねぇ!」と言うわけだ。
 そこには過去に安住するのではなく、困難であろうとも現在を生きなければならないし、その現在の積み重ねが未来へとつながっていくことを暗示する。(それより前に)ひろしが過去の世界から目覚める回想で、今ある家族の幸せが出てくるのは象徴的だと思う。
 結局、そうした大文字の歴史が描けなくなった現在で、人々が何を指針に生きていくのか、という一つに、たとえ他者から見れば「くだらない」ようにみえる毎日の生活に、一人ひとりが幸せ―ひろしの場合は家族の存在―を見つけていく、だからこそ、「つまらなくなんかない」のだろう。
 春日部に住む、一つの家族のささやかな幸せを裏の主題にしながら、コミカルに描いている手腕はなかなか見事だ。
 実のところ、「(前を向いて)生きていく」というゲド戦記と意外なところで共通しているなぁ…と図らずも一致したコトに一人で感心していた(笑)。