あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

舞台「奇跡の人」


 石原さとみ田畑智子が出ている舞台「奇跡の人」を見に青山劇場まで行った。
 割引でS席が3500円だったので是非この機会に…と思ったわけです。


 「奇跡の人」というと、どうもヘレン・ケラーのことだと思ってしまいがちなのですが、正しくはヘレン・ケラーを教え、導いたサリバン先生のことを指す言葉です。なぜか日本では翻訳のミスでヘレン・ケラーのことだと思っているようですが…。


 ヘレン・ケラーについては伝記で読んだヒトが多いだろうから、言わずもがな、ですね。盲・聾・唖の三重苦になりながらもそれを克服したヒトです。もっとも、そのためにはサリバン先生の生涯の献身があってこそなのですけれどね。
 そんな難役・ヘレンに石原さとみが挑む今回の舞台。過去には菅野美穂鈴木杏も挑んだようですが、最初から最後まで何一つセリフらしいセリフもないまま、ひたすら唸ったり喚いたりと、一生懸命に演じようとする姿勢が見られました。
 一方、サリバン先生を演じた田畑智子ですが、随分若いサリバン先生だなぁ…という印象ですね。もっとも、ヘレンを教育し始める時点(ヘレンは7歳)でのサリバン先生の年齢は20歳なので、ちょうど良いと言えばいいのですが、僕の中でサリバン先生はもう少し年上な感じがあったモノだから、そんな印象を持ってしまいました。


 全体的に二人とも熱意が伝わる演技でした。ただ、石原さとみはもっと野人らしく振る舞えるし、田畑智子はもっとセリフをゆっくり喋ってくれると良かったかな。とはいえ、この責任は演出(あるいは舞台監督)に負うところがあるのでしょうが…。
 あ、ヘレンの兄貴役の山崎裕太。彼が一番言い回しとちっていたな。滑舌があまりよくないんだろーか?芸歴長いはずなのに…。
 舞台自体は舞台を回転させながら非常に効果的にセットを利用していました。舞台が回転するため、セットの大がかりな変更はなく、時間や空間が暗転もなく切り替わったりするなど、そーした仕掛けは非常に面白かった。


 ラストシーンはヘレン・ケラーの伝記などでお馴染みの「あの」シーンです。ネタバレになるからいわないけど(笑い)。


 それと関連して。
 そんなことで巷ではヘレン・ケラーの偉業というか「奇跡の人」というイメージが先行してしまってますが、実際、決定的に重要だったのはアン・マンスフィールド・サリバンを家庭教師に招いたことだろう。
 もちろん、三重苦であっても、脳に障害がなかった、という幸運な条件もありましたが、「きわめて合理的な教育による当然の結果」という側面も無視してはいけない。
 つまり、それは盲・聾・唖というハンディキャップを持っているとはいえ、一人の独立した人間であり、一人の人格として尊重しなければならない、という当たり前と言えば当たり前だが、なかなか難しい問題があるのだ。


 芝居の中で、(うろ覚えだけど)サリバン先生のこんな(ような)セリフがある。
 「憐れみはこの子にとって不幸なことだ」
 劇中の人物、つまりヘレンの父親や母親、兄はハンディキャップを持つヘレンを「憐れみ」、その結果ヘレンを甘やかし続けた。それはヘレンのためでもあり、彼らのためでもあった。
 それに気づかせ、憐れみの対象から一人の人間としての対象へと視線を変えるように求め、行動を続けたのがサリバン先生である。


 実は今回の舞台から考える得ることは非常に多かった。


奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)

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ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録

ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録

自伝とともに、教育関係者や障害児教育について関心があれば、サリバン先生の記録が非常に心を打たれる。実際、サリバン先生はその後もヘレンの目となり耳となって献身する。これは幼少期のヘレンについて(最初の1、2年)サリバン先生が書き送った書簡。