あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

社会変動とプロ野球

 日本シリーズ、ハムが来ましたね!凄いなぁ…。そんなこと言いながら、熱心な野球ファンではないけどね。野球もサッカーも広く浅く、見ていて楽しいなぁ…と思うくらいが管理人にとってはちょうど良いので、今回くらいはこのネタで。
 あー、でも最近、格闘技は見てないかも。なんか面白さを感じなくなって…。


 試合内容云々はともかく、ぼんやりと思ったのはある意味で新庄と長嶋って相似形なのかも。記録よりも記憶に残る選手と言うことでね。たぶん、監督業が似合わないのも同じ。こー書くと、長嶋ファンに怒られそうだけど、ヒルマン監督を見るにつけ、選手としての特性と監督としての特性は必ずしもイコールにはないことがハッキリ分かるのではないか?
 逆に、そのへんをフロントが意識しないと野球が面白くならないかも。スター選手を監督にさせればとにかくOKだろう、というような短絡的なもう、いい加減止めたらいいのにね。
 それにしても、日ハムの札幌移転作戦は見事に成功したと思う。こういう事実を目の当たりにしても相変わらず脂ぎったオヤジ共は「巨人の神話」から頭を切り換えられないでいるんだろうな。野球が好きなのは良いんだけれど、皮肉にもその「好き方」が野球そのものを先細りさせてしまっているのかもしれない。
 好きなんだからイイじゃないか!と思うかもしれないけれど、残念ながら野球も興行業だから、社会のニードをきちんと掴まなくちゃいけない。Jリーグを見習え!資本規模が小さくてもやっていけてるのは各クラブが地域密着をしているからだろう。


 極端に言えばかつてと時代が変わってしまっているのだ。もうちょっと詳しく言えば、かつてのような社会環境にないので人々はテレビで巨人戦を見ればそれで満足、とならなくなった、ということだ。今でも地方に旅行にいくと、その地方の球団への地元民のシンパシーは非常に高い。だから野球も地方の時代だ、と言えるのではないだろうか?