あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

履修不足で一番損をするのは?

 今回の履修不足事件を受けて(この問題の)与党の代表者は履修不足の高校生が受験に不利にならないようにするよう救済措置を講ずることを申し入れたそうだ。

http://www.asahi.com/special/061027/TKY200610310500.html


 うーん…生徒は被害者であるとはいえ、それでイイのかな?という疑問はある。
 つまり、ここで安易に救済をしてしまうとまさに「正直者が馬鹿を見る」ことをものの見事に証明してしまうことになりはしないか?
 安易に救済することで、結局、きちんと履修してきた生徒にとってハンデを負わせることになる。もっとも、きちんと勉強したことが「ハンデ」になるという表現は不適切かもしれないのだけど。
 なぜなら、きちんと世界史や政治経済を履修している生徒がいる一方で、履修不足の高校は不正をして大学受験に有利になるよう進学指導していた、ということだろう。その浮いたコマ数で受験対策をし、受験指導をしていたのだろうから、厳しい言い方をすれば履修不足の高校に通う生徒は「世界史を学ばなかった、その分だけ」他の生徒よりも有利な立場にあるんじゃないか。
 結局、テクニカルな問題として、比較考量しなければならないのだろう。片方の天秤にはきちんと世界史や政治経済を履修した生徒の被る不利益、もう片方には単位不足で補習を受けなければならない生徒の不利益である。
 ただ、履修不足の高校に焦点が当たっているが、そこへの救済ばかり考えると、きちんと履修をしていた高校の生徒が結果として不利益を被るという本末転倒な事態が起こりうると思う。

↓でも書いたけれど、どうも「高等学校」という教育機関のそもそものあり方、必修科目というものを考慮に入れない話が多すぎるような印象。
誰がための必修か? - あれぐろ・こん・ぶりお

 そんなに受験に専念したいのなら、個人的には高校になんぞ行かないで最初から大検でも受けて、予備校とかで受験科目の勉強だけに専念すればいいじゃないか?とも思ってしまう。その方が受験には「効率的」なのにね。
 けど、受験に関係ないから要らないって言うのはなぁ…。どうせ、専門的な勉強なんて大学だって大して出来やしないのに、まして高校から…なんていうのは実のところ高校生にも良くないことじゃないのかな。


 企業が大学のウチに資格を取るように、と言う話も同じ。どうせ真剣に勉強する時期なんて人生でそんなに無いのだから、大学時代は卒論制作なり、読書するなり、放浪するなり、美術館や博物館行くなりした方が、トータルで見れば会社にとっても高い人的資本を得ることになるんじゃないのか?
 どーも、会社に入ってから育てるという余裕が無くて即戦力ばかり求めてる気がするけどなぁ。新卒社員で鬱になって休職したり、転職したりっていう話やそーいうことを書くBlogとか耳にしたり目にしたり、だけど、関係してるんじゃないの?とも思ったり。

 で、やっぱり繰り返しだけど、責任の所在と、今後の対応が重要だね。
 きちんと管理しなかった教育委員会、生徒の人格完成とそれに資する各教科の教育よりも合格率や合格実績という「経営」を優先させた学校。(もちろん経営は必要だが、比較考量してどちらが「より」大事かという発想)このあたりの「当事者」がきちんと責任をとる必要はあると思う。
 教育再生会議では公立学校の選択制を導入して市場原理に基づく競争を求めようとしているが、(制限付きながら)競争が成り立つ高等学校ですらこの有り様だ。小中学校に導入したら果たしてどうなるか、ある程度結果は見えてくると思う。