あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

極めて良くない例@佐々木力『21世紀のマルクス主義』を読む


21世紀のマルクス主義 (ちくま学芸文庫)

21世紀のマルクス主義 (ちくま学芸文庫)

 著者の佐々木力は科学史哲学史なんかを講じている東大教授。
 その筋では、まあ、まともな研究をしているようなので読んでみた。
 院生として思想史研究をする管理人としても、押さえておかないと…と思ったわけで。

 なんだけど、結果から言えば、真面目にレビューするに当たらない珍しい本だった。

 なので、管理人が読んで気になった問題点を上げながらエントリすると…。

 本書はタイトル通り「21世紀のマルクス主義」を展望しているようなのだが、どうも、筆者自身がレーニントロツキー万歳なので、その視点(悪い言い方をすれば色眼鏡)で物事を把握している傾向が極めて強い。
 たとえば、本書の中で、イギリスの社会主義者としてウィリアム・モリスに言及する箇所があるのだけれど、そこではモリスを「イギリスのマルクス主義者」と捉えている。
 イギリスの社会主義を多少かじれば分かることだけれど、イギリスの社会主義マルクス主義の影響は極めて少ない。(フェビアン主義者の思想形成を見ていけばすぐ分かる)
 なので、当然、今まで管理人が読んできた中でモリスをマルクス主義だと説明したモノがなかった。にもかかわらず、モリスはマルクス主義者と記述されているので、非常に(事実誤認だろうと)驚いたのだ。


 繰り返しになるが、レーニントロツキー万歳なので、結局のところマルクス主義、といってもマルクスの思想そのものを検討するのではない。マルクスの思想から可能性(つまりは今日的問題点への方向性)を見いだしていくのではなく、トロツキーからそれを見いだそうとしているのだ。
 しかし、今日的に見て、レーニントロツキーの思想の限界というものも当然明らかになっている。なのに、未だにそこに幻想を抱いている、というのは果たしてどうなのだろうか。
 つまり、レーニントロツキーの思想に内包される問題点というものが存在するのである。
 確かに、政治体制としてのソヴィエト連邦スターリンの所産とでも言えるのだろう。しかし、ロシア革命からソヴィエト連邦建国までの過程でレーニントロツキー(厳密に言うとトロツキーは違うんだけど)が与えた影響も当然無視し得ないものがある。
 

 専門的になるけれど、一国社会主義社会主義実現の過程でのプロレタリア独裁を唱えたレーニンに、後のソ連の問題点がすでに内包されているのではないか?という批判的視点が当然存在するはずなのである。にもかかわらず、ソ連の問題は全てスターリンに帰結する、みたいは論調は非常に問題があるだろう。
 つまりは「ひいきの引き倒し」になってしまうのだ

 なので、思想史を多少は知っているヒトにとって見れば「なんじゃこりゃ、トンデモだ」っていうことになるし、まったく知らないヒトが読むと「そーだったのか」と、あらぬ事実の認識をしかねない。
 問題は、そーした思想史的イロハ(基礎)が筆者に無いのにも関わらず、マルクス主義について思想的に論じてしまっていることにあるのではないだろうか。
 つまり、筆者の専門とする哲学史科学史の観点からの切り口でなく、いわば素人である思想史の観点から思想を語ってしまっているのだ。


 と、いうことで、繰り返しになるけど、知っているヒトから見れば疑問点が山積してしまうし、知らないヒトが読むには事実誤認や筆者の主観が多すぎる。
 なので、本書を読まれることはオススメできない。

 ただし、昔の「左翼」と呼ばれる方々が、もしかするとこんな感じだったのかなぁ…という「雰囲気」を味わいたければ、読めばいい。でも、そーした「雰囲気」を味わいたければ、石母田正とか梅本克己とか読んだ方が、遙かに勉強になると思う。


オススメ度→★☆☆☆☆


 でも、ちくま学芸文庫から出してはいかんぜよ…。