あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

確かに仰るとおりなのだが…

 昨日は午前中大学で勉強していたわけなのですが、どうも外が騒がしい。
 耳をすまさなくても、聞こえるくらいの音量で軍歌なるものを流しながら、拡声器を使って叫んでいる、いわゆる「右翼の方々の街宣車」が何台も来ていた。

 遅めの昼飯を食べに外に出て、ついでに野次馬してきたら、どーも、週刊金曜日に対して抗議しているようだ。

 あとで調べてみて分かったんですが、大学の近くに週刊金曜日の編集部があったなんて全然知らなかった。


 ちなみに、なんで抗議していたかと言えば、例の「さる高貴な人々」に関わる一件のコトのようだ。
 街宣車から「表現の自由があるからといえ、何でも好き勝手に表現して許されるとでも思っているのか」云々と宣っていた。
 まー、確かにそうなんだけどね。思想・信条の自由はそれこそ「どこまでも」自由なんだけど、表現の自由は結構きわどいところがある。憲法の講義を受けた人は分かるけど自由権の中でも「表現の自由」に関わる問題は、どこからが制限されても仕方がないか、みたいな線引きが非常に難しい。


 話が逸れちゃった。
 ま、確かに「表現の自由がある→好き勝手にしても良い、と言うことではない」というのは分かるんだけど、その時管理人が思ったのは、その主張をするのに「大学のすぐ近くで大音量を垂れ流す」ことは無いんじゃないか?
 それこそ、彼らの言う、「何でも好き勝手にするのは許されない」ってコトじゃないの?

 未来ある(だろう)学生が勉強しているすぐそばで、そーいった配慮をまったく無視して、(あるいは気づかない?まさか!?)に、自分たちの主張をしていて満足しているなんて、言行が一致していないじゃん。なんて思ってしまうのだけどなぁ…。
 それとも、自分たちの行動に比べれば、学生が勉学に勤しむことを結果として妨害することになっても、それは許されると思っているのかなぁ…。まさかそんなことはないと思うんだけど…。

 民族派の方々はそのへんの節度がある方が多いのかなと思っていたけど、結局「何でもありありの自由」に彼らも乗っかってしまっているのかと思うと、何だか残念な気がした(苦笑)。