2006年12月25日(月)19:00(開場18:20)東京文化会館
曲目
ベートーヴェン:序曲「コリオラン」 作品62
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 「合唱付」 作品125
出演者
指揮:ジェイムズ・デプリースト
ソプラノ:澤畑恵美
メゾソプラノ:竹本節子
テノール:福井敬
バリトン:福島明也
合唱:二期会合唱団
年末恒例、第九演奏会。
今年は久しぶりに都響を聴きました。思えば、去年は新日本フィル、一昨年は日本フィル、その前が…たしか東京シティ・フィルだった気がする。しかも、今回は常任のデプリーストの第九だから期待が高まるというもの。
客席はほぼ満席。こないだのメサイアの時と同じくやっぱり文化会館で満席だと、とても壮麗な感じがするな。
コリオランはいたってオーソドックス。可もなく不可もない、安定した演奏。個人的には冒頭の主音のあとの休符をもっととって欲しかった。文化会館は響きがデットだから、ちょっと詰め気味にしたのかな?なんて余計なことを思ってみる。多分、スコア通りなんだろうけど、もっと「タメ」があった方が好きだな。ただ、残響の関係もあるから、サントリーホールならもっと休符を長くとっても様になるだろうなぁ。
第九は合唱団、ソリスト共に第2楽章が終わってから登場。
声楽陣はノドの調子もあるから、万全を期すためにそのタイミングなんだろうけど、やっぱり最初から待機して欲しいと思う。じゃないと、第2楽章が終わってから緊張が途切れるというか、音楽が切断される感じがする。
ソリストがそのタイミングで登場するから、拍手とか起こっちゃうし…。
ちなみに朝比奈は第九のアタマから声楽陣は全員登場させてたらしい。生で聴いてみたかったなぁ…。
演奏も極めてオーソドックス。
エディションもベーレンライター版を使うわけではなく、ブライドコプフ版の新版も使わず、過去の巨匠や大指揮者が使ってきたお馴染みの、というか定番の第九のスコア。なので聴いていて非常に安心感があった。もう、ここまで来ると楽譜のエディションの「正しさ」とかってあまり関係ないような気がするな。大体、「正しい楽譜」って?なんて思うしね。
第1楽章から第3楽章まではきびきびしたテンポ。あまり管楽器は強奏させず、汚い響きにはならないように気をつけている感じ。その代わり非常に艶やかな弦の音色が心地よかった。
これも可もなく不可もない、というと褒めてんだか貶してんだか分からないみたいだけど、水準以上であることには間違いない。ただし、去年のハウシルトの方がここまでは良かったな。
終楽章はプロである二期会合唱団が歌うこともあって、非常に圧巻。まず、声量が素晴らしいし、発音と音程も抜群。第九はいわゆる声楽科に在籍する芸大生の合唱団だったり、アマチュアの「第九を歌う会」みたいな市民合唱団が参加することが多いのだけれど、今回は二期会合唱団ってコトで、いわば「真剣勝負」って様相。
評論家筋では第1〜3楽章までの方が音楽的に優れている、って言いますが、優れた合唱団による合唱を聴いてしまうと、やっぱり第4楽章の素晴らしさは途方もない。
それで、
Alle Menschen werden Bruder
(uはウムラウトなんだけど)って言うわけです。
(直訳すると、「全てのヒトは兄弟になる」くらいの意味)
まだ、社会は王政であったにもかかわらず(ウィーン3月革命は1848年、第九が完成したのは1824年)、ベートーヴェンは「人類はみんな平等なんだ!」っていう詩を取り上げている、その理想に心が打たれますね。とりわけ管理人が政治思想なんか勉強してるからかもしれないんですけど…。
フィナーレも
Freude schuner Gotterfunken
(またウムラウトつくんですけど)というわけですよね。
「喜びよ、美しい神の輝きよ!」っていうあたりがやっぱり感動的ですよ。
デプリーストは声楽の扱い方が上手いのかなぁ…。ここでは金管も強奏させて人類の理想を高らかに曲に込めるベートーヴェンの精神を解放しているかのようでした。
終わりよければすべてよし、ってことで。