思い出話に花を咲かせるようになったら、歳とった証拠、って言われるけど、去年の今頃は直前に控えたゼミ合宿の準備に大忙しだった気がする。
今年は新しく入ったゼミ生に、藤原保信の『自由主義の再検討』を輪読させるのだとか。
おー凄いな。藤原保信は10年ほど前に他界したが早稲田で教鞭を執っていた、政治思想研究者の中では指折りの存在(だと思う)。
- 作者: 藤原保信
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1993/08/20
- メディア: 新書
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政治思想に詳しくないと分からないと思うけれど、凄まじい活躍ぶりだなぁ…と唖然としてしまうね。テレビウォッチャーなら、朝生なんかでお馴染みの姜尚中ばかりが目についちゃうけど、千葉眞や斎藤純一も最近凄く活発に本を出しているし。
話が脱線。
そんな弟子を輩出した藤原保信の遺作となったのが『自由主義の再検討』な訳で、近代の政治思想家を自由主義というキーワードで追いながら、その変遷を追い、近年のリベラル−コミュニタリア論争までを紹介する。
もっとも、コミュニタリアリズム(共同体主義)については説明が足りてない気もするけど…。
けど、まだ専攻を決めたばかりの新ゼミ生にとってはとんでもなく奥が深い本だと思う。表面的に読んでも充分面白いし、勉強にはなるんだけどさ。そこに書かれていることを手がかりにいくらでも奥に入っていけるだけの「奥行き」のある本。しかも新書で読めるという手軽さ。
コミュニタリアリズム(共同体主義)は弟子である斉藤純一が指摘するように、「人間は社会(共同体)の中で生活するのだから、個人の自由よりも共同体の秩序の方が、重要なんだ」的な表面的な理解をしてはいけないのだという。
アメリカでコミュニタリアリズムが登場したのは確かに、個人主義の行き過ぎによって、社会がバラバラになってしまう、その代替という側面があったのだろうけど、気をつけなくてはいけないのは、そのコミュニティ(共同体)っていうのは、「国」のように大きなモノではなくて、アメリカに古くから、広く発達していた「中間団体」なのだ。
(トクヴィルの表現で言うところの「アソシアシオン」になるんだとおもう)
宗教上のサークルだったり、趣味の上でのサークルだったり、ボランティア団体だったり…とアメリカには政府と一般市民との間に「中間団体」が存在しているのだ。
そうした自発的に出現する自発的結社、としての共同体を念頭に置いて共同体主義が唱えられるのだ。
そのあたりを考慮に入れて読み込んでいくと、もっと深い議論が出来ると思う。