あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

追悼@福田歓一『近代民主主義とその展望』を読む

近代民主主義とその展望 (岩波新書 黄版1)

近代民主主義とその展望 (岩波新書 黄版1)

 今日は更新するつもりが無かったんだけど、政治思想の勉強をする管理人からすると功績のあったヒトなので、著書の感想を挙げて、お悔やみを申し上げることにする。


http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20070110k0000m060122000c.html

訃報:福田歓一さん83歳=政治学者、東大名誉教授
 近代政治理論の特徴を研究するとともに、現実政治にも発言を続けた政治学者で東大名誉教授の福田歓一(ふくだ・かんいち)さんが7日、肺炎のため死去した。83歳。しのぶ会は27日午後1時、東京都港区白金台1の2の37の明治学院大白金キャンパス。自宅は中野区本町1の15の22の504。喪主は妻良子(りょうこ)さん。

 神戸市生まれ。1947年東大卒。先輩の丸山真男と同じく南原繁に師事し、政治学史を研究。同大教授、法学部長を務める。ホッブスやロック、ルソーらの思想分析から社会契約説の重要性を指摘し、「近代政治原理成立史序説」にまとめた。60年代を中心に論壇でも活躍。雑誌「世界」などで戦後民主主義憲法を擁護する主張を展開した。

 著者は民主主義の成立状況から、民主主義を古代の都市国家(ポリス)を基盤とする「古代民主主義」と西欧やアメリカ大陸を基盤とし、独立自営生産者からなる「近代民主主義」に分類する。
 近代民主主義は古代民主主義とは異なり、絶対王政時代、政治から疎外されていた市民層が自らの側に政治を決定する権利革命によって奪い、それによって、「底辺からの政治化」が起こった、と考える。

 しかし、古代民主主義においてみられた民主主義の全会一致の原則は、近代民主主義では民主政治の規模の巨大化から、実行不可能であり、「あくまで便宜のために」多数決を採用することになった。この多数決の原理というのはあくまでも政治を運営する上でやむを得ず導入されたものであり、その意味で、「擬制」にすぎない。
 擬制であることを忘れて、多数決を実体化してしまう(つまり、何でも多数決で決定してしまい、それで良しとする)と、そこには少数者の権利が顧みられなくなり、やがて少数者はその社会から分離することになってしまう。
 今日の状況に照らし合わせて考えれば、マイノリティとしての先住民や障害を持ったヒトでも人間として尊重される社会の取り組みを考える際に非常に重要な視点を提供している。

 だから、majority ruleはminority rightと組み合わせて使わなければならないのである。

 つまり、多数決がそうした擬制である以上、その使用には限界が存在し、単純に多数決だけで決定してはいけない領域というものが存在する、というのである。
 たとえば、政治参加は機構や制度によって充分生かされるとは限らず、そこからはみ出す(=運動)部分も当然ある。そして、そうしたはみ出し(=運動)は既存の法律の枠から外れることも当然にあるのである。


 民主主義の本来の要求とは治者=被治者と言う関係であり、社会の構成員による自発的秩序の形成が望まれる。 
 従って、民主主義の機構原理(あるいは制度原理)がどこまで価値原理に仕え得るのか、と言うことが問題となるのである。
 仮に全部備わっているとすれば、それは(要するに、民主主義を選挙制度とか、制度的なものでしかみていないなら)民主主義の形骸化であり、あらゆるコトを認めるならば、(個人がバラバラに行動するので)それは無秩序でしかない。
 このように本来、民主主義の機構原理と価値原理は対立関係にある中で、それを突破する(あるいはバランスをとると言った方が良いかもしれないが…)ものとして、運動による新たな秩序形成を生み出す契機となることに筆者は期待を寄せている。


 近代民主主義の特徴としてあげられるもう一つは、政治の「マス化(=大衆化)」である。大衆化は人間の画一化、規格化を生じさせる。例えば、誰もが同じような生活をして、同じような要求を持つ、といった具合である。
 こうした「大衆化」は政治の世界にも当然にfeed back(=反映)してくることになる。
 それは義務教育であるとか、年金などの社会福祉といった政策によって象徴される。
 一方で、大衆化に伴う社会の巨大化、複雑化によって、政治的判断が「白か黒か」といったような単純に考えられ、また、情緒に流されたりする傾向が強まる。これは政治を現実的、理性的に判断していこうとする際に大きなマイナスとなることは否めない。
 政治が「どちらが社会状況からして妥当か」ではなく、単純に「好きか嫌いか」「人気があるか無いか」というレベルに堕してしまうのである。(前回の郵政選挙北朝鮮政策への世論の情緒的対応を見れば分かる)

 しかし、民主主義の最大に強みはそれが民衆自身の選択によって成立する政治体制であって、その権力は軍事力を背景にした絶対王政時代のものとは異なり、シンボルと政策とを(権力の)源泉とする、そのコントロールに不安のない権力である、としている。

 民主主義は、それがどんなによい言葉になったとしても、人間のすべての問題を片づけてくれる万能薬ではありません。民主主義は、それがどんなに立派に制度化されたとしても、それによって必ずしも人間が豊かな生活を送れるということを約束するものでもありません。それどころか、民主主義はまさにそれが民主主義であるがゆえに、そもそもそれが機能するためには、この社会をつくっている一人一人の人間の資質を厳しく問い、一人一人の人間に対して、公共のために大きな献身と負担とを要求する、そういう体制にほかなりません。
 ただ、この民主主義に根本的な一つの特徴、ほかに求めがたい長所があるとすれば、それのみが、人間が政治生活を営むうえに、人間の尊厳と両立するという一点であります。
 福田歓一『近代民主主義とその展望』p.208

 本書が書かれたのはいまから三十年ほど昔であるが、この中で指摘されていることはここ数年から今現在までの現代政治を考える上でも非常な視座を提供してくれる。
 今回触れなかったが、本書では民主主義の成立過程を歴史的経緯をふまえながら丁寧に書き出しており、メディアでコメンテーターや知識人たちが繰り広げる「浅薄な」民主主義論ばかりに慣れたヒトにとっては、必読とも言えるだろう。


 いわば、民主主義を理解する上での基礎書であり、算数で言うところの「九九の掛け算」のようなものだ。メディアの華やかでセンセーショナルな言説に比べればここに書かれていることは地味なのだが、何事にも「基礎」(まぁ、「根っこ」みたいなもん)は必要だし、小手先だけの問題に対処した「ハウツーもの」ではない本書の存在は「自分の頭で考える」上で、非常に重要なものである。

最後になったけれど、ご冥福をお祈りします。

オススメ度→★★★★★