あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

ここ数日と研究会。

 今週、来週(といってもこれを書いてる時点で来週になったんだけど…)と珍しく予定がビッシリと入ってしまい、バイトに出られないので、週末は続けてバイトに出勤。

 そして先日は研究会があったわけです。

 内容は、といえば、近代中国の政治思想について。
 その内容に関する本を出版された方がいるので、その本の書評会でした。


 世界史でしかも中国史をやらないと分かり難いかもしれないんですが、中国近代史(清朝末期からの変法〜洋務運動〜中華民国の成立…といったあたり)の政治思想、や立場には洋務派・立憲派・革命派といった具合に区分されます。
 その中で、従来あまり高い評価を与えてこなかった立憲派について再検討を行おう、というものでした。


 当時における啓蒙知識人がイメージする中国の議会像は、一般的に政治経済の教科書で書かれているような「国権の最高機関」とか「民意の代表機関」とか言うのではなく、「為政者の監督・助言」といった位置付けを行っていたのだという。
 どーも、近代立憲主義的な法治主義という考え方が今でも弱く、それこそ「中国四千年の歴史」的な特に基づいた徳治主義・賢人政治といった考え方が強いらしい。
 つまり、中国における法意識というのはあくまでも「徳治」(孔子の「仁・儀・礼」の発想)があるというのです。
 国を統治する(人々の上に立つ)には君主が優れた徳の持ち主であること、が要求される、というわけで、そこには人間に先立つ「法」という意識は低いわけです。
 だから、近代西洋的な立憲政治とか法の支配といった感覚が鈍い。ゆえに、議会も「監督・助言」する立場に過ぎないってわけです。


 実はこの考え方、農村部においては今もそんなに変化がない、とのこと。
 中国政治を理解する上で、非常に示唆的な話でもあった。