あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

もうすぐ春ですね!?

 週末はご存じの通り「節分」だった。

 最近は季節感―というより、そうした習俗はあまり流行らなくなっているようだけれど、「行事」に積極的意義を見つけるとすればそれは一年を何らかの基準で「区切る」ことにほかならない。
 なぜ「区切る」かといえば、それは区切ることによって僕らの理解を助ける、と言うことが挙げられるだろう。


 例えば、有名なたとえ話で、雪の話がある。
 雪があまり降らない地域では、雪を区別する言葉はほとんど無い。「雪」といえばどんな雪でも「雪」であり、全て同じものだと認識される。
 しかし、雪が日常的に降る地域では、雪に対する呼び方が無数に存在する。
 アラスカに住むイヌイットやあるいは日本でもアイヌの人々は「雪」に対するいくつもの呼び名を持っていた。
 「ある対象へ名前を付ける」ということは、それを認識するヒトが「そのものが他のものとは区別されること」を意識しているからにほかならない。だから、名前を付けること、それによって区切ることで「分かろうとする」のだろう。
(このあたりは鈴木孝夫『ことばと文化』が定番らしい。以前、勧められて読んだことがある)

ことばと文化 (岩波新書)

ことばと文化 (岩波新書)

 余計な話になっちゃったけど、ともかく、「節分」という区切りでもって、立春となるわけだから、もう春なんだなぁ…ということになるだろう。
 (もちろん、旧暦・新暦の区別はあろうが…)そーいう暦の上での季節感というのも、実はそうそう捨てたもんじゃないのかなぁ…とも思ったりもする。

 そんなわけで節分だけど、柊に鰯の頭を刺したものだったり、あるいはオーソドックスに豆まきだったり、はたまた最近は関西の「恵方巻き」の習慣が広まっているみたいですね。
 管理人は週末、地元の伊勢丹なる百貨店に行き、どれくらい恵方巻き買っているか覗きに行ったら、デパ地下食品街スゲー混んでる!なんせ持ち帰り寿司屋から行列がすごいのなんの。30メートルくらいあるんじゃないか?と思わせるくらい。しかも結構良い値段する恵方巻き買ってたなぁ。
 さすが格差社会(笑い)。
 管理人はその行列を見て、買うのを諦めて、ウチに帰って豆まきしました。結構夜遅かったにもかかわらず、ウチの中から外へ向かって絶叫。多分、近所のヒトは「ついにアタマがおかしくなった」と思っていることでしょう(笑い)。
 ただ、夜暗くて分からなかったけれど、結構豆を蒔いたもんだから、翌朝家の前にマメが散乱していました。まぁ、スズメでも食べてくれるでしょう。(←絶対片づけない)