あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

これしか読んでないんだけど


■訃報:城山三郎さん 79歳 死去=作家【毎日新聞
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/archive/news/2007/03/23/20070323ddm001060009000c.html

 お悔やみということで。
 
 小説を読まない管理人なので、貧相な感想になってしまうのだけれど、実体験としての戦争をモチーフに小説を書く作家がまたひとり亡くなったな、という印象。
 もっとも、『官僚たちの夏』といった経済小説あたりがメインなのかもしれないけれど(あと『男子の本懐』などの歴史小説)、管理人自身がこれらの作品にスルーしてしまっているため、良く分からない。

 それでも去年映画になった、「硫黄島からの手紙」に触発されて『硫黄島に死す』を読んだとき、いくらか思うところがあった。
 『硫黄島に死す』には本題の短編を含め、数本の戦争小説が含まれているが、一般的に評判が高いだろう『硫黄島…』にくらべて管理人自身は『青春の記念の土地』に城山自身がリアルに感じた戦争観が描かれているような気がする。
 確かに硫黄島に死すも主人公の目を通じて葛藤しながら散っていく戦争の理不尽さは伝わってくるのだけれど、失礼な言い方ながら「なんか作り物めいた感じ」が拭えなかった。
 それに比べると、後者は「戦争って案外そんなモノなんだよ」っていう醒めた、それでいて非常に残酷な理不尽さ(語義矛盾なんだけど)が伝わってくる。実際、アジア・太平洋戦争もその犠牲者は戦闘による死者よりもはるかに多い傷病死であり、また、餓死である。そうした「実感としての戦争」が作品を通じて表現したかったのではないか、とも思うのだ。

 文庫版には最後に『断崖』という紀行文(というかエッセイ)が含まれているが、それに戦争を体験した城山だからこそ、とでもいえる社会観というか人間観が垣間見られるかもしれない。


 わたしは、夢を見る。
 あの列車から乗客全部がぞろりぞろり下りて、鉄路も断崖も埋め尽くす。野の花を積み重ね、死者に手向けて号泣する。
 老人も泣き、二人の母親も坊やも、乗り合わせていた老若男女が、声を合わせて泣く。人生にはそのことだけしかないように、泣いて、泣いて、死者を悼む。機関士は、「もう、運転はいやだ」と、だだをこね、二度とタラップに足をかけない。
 特急列車はいつになっても次の駅へ着かない。何百という乗客ごと、行方不明である。
 やがて、ヘリコプターが空から、その集団を発見する。鳴き声はエンジンの音を越して、操縦士の耳に届く。
 何ということなのか、集団発狂なのか。操縦士は耳を疑う。
 知らせを受けた新聞記者も、頭を抱える。何百人もが一度に狂うことはあり得ない。すると、それは正常なのか。ひょっとして、別世界がどこかから落ちて来たのではないか。それなら、おれもひとつ、そちらへ引っ越してみるか…。


城山三郎『断崖』より)

 ここ数年の城山の行動を見ると「泣いて、泣いて、死者を悼む」ことの出来なかった、数字として人間が数えられた時代への反省と怒りがあったのだろう、と考えるのは穿ちすぎるのだろうか…。
 ご冥福をお祈りします。

硫黄島に死す (新潮文庫)

硫黄島に死す (新潮文庫)