あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

「公」と「私」と。

 ご存じの通り、松岡前農水相が自殺した。
 現職閣僚の自殺は、1945年に阿南惟幾陸軍大臣)が自殺して以来、実に62年ぶりのことだという。

 死者を哀しみ、悼むのは人間として自然な感情だろう。合掌。


 松岡元農水相自殺の翌日、「官製談合システムを発案した緑資源機構の“陰のドン”」と呼ばれた山崎進一(元理事)も自殺した。


 ちなみに、日本での自殺者は年間3万人を超える。単純計算で1日10人弱。


 さて、このあとこの国の世論はどうなるか。

 今回、このような痛ましい事件が起こったのは、ひとえに「政治とカネ」の問題が相変わらず政治の世界では問題になったからだろう。

 「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。

 松岡元大臣自身をめぐる問題は確かに「私」の問題であり、その死は「個人的な死」と考えることは出来るだろう。しかし、松岡元大臣が、その死の瞬間まで日本国民1億2000万人の農林水産行政の最高責任者である。そして、日本国民1億2000万人の生命・自由・財産を保護する立法府の議員でもある。
 政治というのは「人間の行為=人為」そのものであり、神のお告げによるものでも、自然の力によるものでもない。まさに人為であるがゆえに、その行動を取った政治家の行動に対する結果責任は、その政治家が取らなければならない性質ものもである。

 従って、「公」としての政治であることをきちんと自覚して、僕らも真相究明を強く求めなくてはならない。その行為は決して「死者に鞭打つ」行為では全くない。むしろ、真相究明を果たし、政治とカネの問題で、再びこのような犠牲者が出ないために政治資金規正法をもっとクリアなものにしていく必要がある。

 少なくとも国会にはその責任があるし、僕ら有権者も、個人に対する哀悼の情とは別に、こうした惨事を生んだ日本政治の構造に対してそれぞれが考えていく必要があると思う。 

職業としての政治 (岩波文庫)

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