あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

詭弁に付き合う気などそうそう無いが

【首相「国のため」と批判けん制 】(時事通信
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007062101032

安倍晋三首相は21日夜、今国会の会期延長について「国民のために何をすべきかという観点から判断した」と説明した。その上で、自民党内の批判に関し「技術的な選挙の勝利ではなく、国のために何をすべきかという観点から考えなければならない。そうでない政治家は辞めた方がいい」と強くけん制した。
 首相は延長の理由について、国家公務員法改正案や社会保険庁改革関連法案、年金時効撤廃特例法案を挙げた上で、「こうした法案を成立させることはわたしの大きな責任だ。この国会で何としても果たさなければならない」と説明。参院選では「こうした判断、わたしの信念も含めて国民の審判を仰ぎたい」と述べた。
 また、首相は参院選に敗北した場合の自らの責任論について「毎日首相は責任を負っている」と述べた。首相官邸で記者団の質問に答えた。

 参議院選挙前で、与野党の対立が激しくなるのはやむを得ないにしても、自身の行動「だけ」を「国民のため」という神経はどーだろうか?
 野党は野党で現政権が続く限り「国民のため」にならないと思っているから批判を強めるのであり、「国民のため」という言葉は安倍の専売特許でも何でもない。
 確かに政治は国民のためになされるものである、という前提は正しいし、批判の余地など全くない。ただし、安倍の「国民のため」という言葉は、どーも単一にして不可分な国民像みたいなものが感じられる。
 だが、そんな国民なんて北朝鮮国民くらいしか存在しないだろう。(恐らく北朝鮮国民も内情は多様なのだろうが…)
 強行採決の連発も同様である。
 確かに国会の慣例に従えば、会期末で成立しなかった法案は廃案になるのが普通である。ただし、重要な法案は「継続審議」という手続きを経て次回国会に持ち越せばよい。(臨時国会で充分議論すればいいし)
 年金救済法はたしかに必要な法案だが、参議院で十分審議をしないまま採決するのはどうか。
 前回の日記にも書いたけれど、「なぜ野党と審議するか」という議会型民主主義の根本原理が理解できていない。何でも多数で強行採決して良いというのであれば、選挙で過半数をとった政権に独裁させればいいのである。
 そうではなくて、あくまでも多数決というのは「全会一致」の擬制であり、擬制をおこなう以上は、反対意見への十分な配慮が必要なのだ。
 「国のため」と言えば国民が「そーだ、そーだ」なんて思うなんて考えているとしたら、これ程、国民をバカにした話はないだろう。


p.s.ある研究会でゲストスピーカーに橋本五郎が招かれたそうだ。その研究会を聞いたヒトのお話を要約すると…。

  • 安倍は執念深い
  • 安倍は官僚を全く信用しない
  • 根本的にいわゆる「左」が嫌い

 だということだ。安保闘争の時に岸(信介)邸を取り囲まれたことがトラウマで、それ以来、なのだそうな。
ついでに官僚も拉致事件がきっかけで全く信用しなく、ほとんど合うこともないらしい。
 一般人なら良いけれど、総理大臣としてはどうだかねぇ。
その逆の立場にいたらどうなるだろう、という想像力が働かないのは致命的だし、なによりも、器量が小さすぎるような気がする。
 きっと、友だちにいるならいいひとなんだろうとは思うけど…。

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