あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

今年も8月15日

 当たり前だけど、62回目の終戦記念日に。
 国内外で犠牲になった多くの方々に合掌。

 世界ではまだ内戦状態にある国は沢山あるなかで、こーしてエントリして、友達と語らい、酒を交わし、好きな音楽や本を読めて、自分の夢や希望に向かって努力できるこの社会で生活することに感謝して、ちょこっと世界と平和について考えてみる。

 そーいう日が一年で一日くらいあってもイイ。

東京新聞 8月14日 【即興政治論】より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/sokkyo/news/200708/CK2007081402040841.html
 豊田 安倍晋三首相ら戦後世代の国会議員は「戦後レジーム(体制)からの脱却」を声高に訴えていますが、戦後レジームは、先の大戦への反省や、亡くなった三百万人以上の尊い犠牲の上に成り立っています。ものごとは、反省があって初めて、改善策も出てくる。これは国家でも同じではないでしょうか。

 保阪 戦後レジームからの脱却は、極めて不遜(ふそん)な言葉です。戦後レジームは、それ自体で存在するのではなく、戦前のレジームと対になっています。多くの矛盾を抱えた戦前のレジームは近代社会にそぐわず、軍事的には決算がつきました。戦後レジームは、その克服のために生まれたのです。六十年以上がたち、制度疲労や矛盾、ほころびはありますが、そこだけを取り出して、戦後レジームからの脱却を訴えるのは、戦前と対になっているという基本的な枠組みが分かっておらず、極めて傲慢(ごうまん)で、歴史に不誠実な感じがします。

 豊田 安倍首相は、日本国憲法は連合軍の押しつけだとして、見直すべき戦後レジームの代表的なものに挙げています。

 保阪 占領下で国家主権を失っていますから、押しつけ的部分はありますが、個々に見ていけば、日本側も協力しています。日本がファシズムから近代市民社会に移行する流れの中で、日本の近代市民社会を肯定する人たちがGHQ(連合国軍総司令部)と共同作業でつくったというのが、正確な解釈ではないでしょうか。それを押しつけだという人は、全く勉強していません。

 豊田 安倍首相は従軍慰安婦問題でも、日本軍による「狭義の強制性はなかった」と発言し、政府も軍による強制を示す資料はないとの立場に立っています。

 保阪 私が昭和史の聞き書きをする中で分かったのは、記憶を持っている時代は、それを土台に了解事項ができていますから、ある種の安心感があるということです。それが戦後六十二年もたつと、記憶を持つ人が少なくなる。史実は、記憶に基づく証言、記録などに目を通すことで知ることができますが、記憶がなくなり、記録が十分でないことをいいことに、史実がなかったと言いだす人たちがいます。沖縄の集団自決問題がまさにそうです。個々のケースでは軍の命令はなかったかもしれませんが、状況としてはあったんですね。従軍慰安婦への日本軍の関与もそうです。記憶と記録が父母で、そこから生まれる子供が教訓です。私たちは記憶を失いつつありますが、記録から教訓をつくっていかねばなりません。その教訓を次世代につないでいく。これは歴史のサイクルです。

 豊田 なぜ記録が十分でないことをいいことに、史実がなかったと言いだせる風潮が強まるのでしょうか。

 保阪 これは安倍さんがつくり出した政治的潮流の一環だと思います。政治指導者の発言によって、それにつながる歴史観は勢いを持ちます。同時に、安倍さんを支える国民の側にも不勉強さや鈍感さがあります。従軍慰安婦問題でも、われわれには軍の関与を示す資料はないと言う資格はありません。なぜかというと、昭和二十(一九四五)年八月十四日の閣議で、行政や軍事機構の末端まで、資料を焼却せよという命令を出したんですね。全部燃やしているわけですよ。日本の戦争に関する資料はほとんど残っていない。戦争責任の追及を恐れたんでしょうが、次の時代に資料を残して、判断を仰ぐという国家としての姿勢が全くなく、燃やせということを平気でやる。そうしたことを知らないスカスカの歴史認識、史実に対する不勉強を、国際社会に対して平気で言う神経は僕には信じられません。

 豊田 歴史の教訓を伝えるために、われわれ自身には何ができるのでしょうか。

 保阪 歴史をめぐる暴言、失言に共通するのは、史実の一面しか見ていないことです。史実には多面的な側面があり、解釈は自由ですが、一面しか見ないのは、過去の世代がつくった全体像を俯瞰(ふかん)する謙虚さがありません。記憶が薄れつつある昭和史は今、同時代史から歴史に移行する端境期で、これ幸いとばかりに、独断と偏見による政治的プロパガンダが行われます。こうしたプロパガンダに耐久性を持たせないためにも、歴史を真摯(しんし)に考える人たちが、批判しなければなりません。黙っていて、力に押されると、日本はとんでもない国になる。過去を反省しないばかりか、美化し始めます。端境期の今がまさに正念場です。

 作家の保坂正康がコメントしたように、「戦争の記録から教訓を作ること」が大切。

 ヒトがヒトを殺める、そんな理不尽な戦争という行為が出来るだけ少なく、そしていつか無くなる日が来るように。そうした希望を持ち続けられるように…。
 細かく言えば、政治学として、リアリスティックな認識に立って何ができるか…とか言えるとは思う。
 とは言いながら、そういうことはひとまずおいて、戦前と対になった戦後を考えつつ…ね。
 今回は引用ばっかで恐縮ながら、これでお茶を濁すと言うことで。