あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

そんなの関係ねぇ!

 今日は一日過ごしやすい気温。
 これくらいだと、凄い楽なんだけどなぁ。

 昨日の高校野球決勝、佐賀北の逆転満塁ホームランは興奮した。
 8月に入っても基本、学校の研究室に籠もっていたこともあって、世事からは大分疎いんだけど、今回はウチで高校野球を見てたわけです。

 野球の面白さは「ツーアウトから」というトコロにもあるんだろうな。
 そこがサッカーとは違う面白さだろうね。

 サッカーも野球もほどほどにしか見てない管理人ならでは…なんだろうけど。


 さて、スレタイの「そんなの関係ねぇ」である。
 そう、もちろん、小島よしおである。

 知らない人のために概要だけ説明すると「24時間テレビ」のワンコーナー「熱湯コマーシャル」で、アドリブで浴槽内にて持ちネタである「そんなの関係ねぇ!」を披露した。小島が浴槽内で平然とネタを続けた事で、昨年の放送に引き続き浴槽内の湯は熱湯では無い事が露呈してしまうというハプニングが生じた。
 一部wikipediaより。すげーな、こんなコトまで書くのかwiki

 翻ってこのことを考えてみるに、そこそここの話題が盛り上がっているのは二重の意味で「お笑いの約束」を破ってしまったことにあるのではないだろうか?


 芸能界という世界は上下関係が厳しいという話を見たり聞いたりする。
 売れていようがいまいが、先輩歌手や先輩芸人には頭を下げ、恥をかかせるようなことはさせないのが暗黙のルールみたいになっている。
 (だから世間的には「過去の人」大橋巨泉セミリタイアしているにもかかわらず、今もテレビにたびたび登場し、偉そうにしているんだろうな)

 小島よしおが熱湯ではないということをバラしてしまったことで、先輩芸人であるダチョウ倶楽部のメンツを潰した、というところは一つあるだろう。

 もうひとつは、小島よしおが「お笑いの形式」を破壊してしまったことである。
 つまり、ダチョウの熱湯コマーシャルでの芸やアツアツおでんの芸に限らず、お笑いは「定型」みたいなものが存在する。(その極端なかたちが吉本新喜劇にあるのではないか)

 ここが重要なところなのだが、ネタを何回も見て、オチも知っている視聴者はそのネタの内容に笑っているわけではない。いわば、その「型式」に笑っているのである。こうなってくると、そのお笑いは一種の「芸」とでも呼べるのかもしれない。(そうなってくると伝統芸能との違いについて考えなくちゃいけなくなるんだけど、めんどくさいからおいといて…。)

 小島はその「型式」が本当に面白いのか?という、そもそもの「お笑いの前提」を掘り崩してしまったのである。(別に脱構築だ!なんて言う気はないけど)

 ただ、このインパクトは一方で絶大である。

 ダチョウに限らず、全ての型式的な芸が「それって面白いの?」という次元に還元されてしまいかねない危険性を実は孕んでいるのである。


 なんでこんなコトになったのかといえば、全くの推測だけれど、それは近年のお笑いブームにあるだろう。つまり、お笑いがブームになったことで「ちょっと面白い素人同然の」お笑いが大量に「タレント」として芸能界デビューを果たす。
 しかし、彼らはそもそも「素人同然」であったために芸能界のルールやお笑いの暗黙の前提といったものを仕込まれてないのだ。(仕込んでやる先輩もいないのが問題だが…)
 だから、下手すると、同じ芸歴くらいの若手芸人と若手ジャニーズ(という呼び方はないけど便宜的に)を比べると、若手ジャニーズの方がそのあたりの礼儀作法をわきまえているという事態が発生するのである。

 急にブームが来て、芸人の数が増えたために若手が教育されないまま、テレビの世界に放り出されるのだ。その帰結が今回の熱湯コマーシャルである。新興住宅街で、マンションが乱立し、結果、託児所や小中学校のキャパシティを超えてしまう状況に似ている。

 そうすると、どうなるかと言えばこれは冒頭でも指摘したとおり、「お約束」が分からない芸人が増えるのである。だからこそ、そもそものお笑いの基盤そのものを掘り崩してしまうコトになるのである。

 これがさらに将来どうなるかは分からない。
 近代市民社会から現代大衆社会への移行をみると、そこには無秩序や感性といったモノが特徴的になる。
 それと同じようなことが、若手芸人が大量発生した芸能界でも起こってくるのかもしれない。