あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

この曲をどう捉えるか@東京都交響楽団 第658回定期演奏会

2008年3月17日(月)19:00開演 東京文化会館

指揮:ジェイムズ・デプリースト
ピアノ:児玉桃

ハイドン交響曲第44番ホ短調『悲しみ』 Hob.I.44
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
ショスタコーヴィチ交響曲第12番ニ短調『1917年』op.112


 今年度最後の定期演奏会。それと共に常任指揮者ジェイムズ・デプリーストの任期最後の演奏会である(オーラスは30日のプロムナードコンサート)。デプリーストは都響が厳しい状況を迎えたここ数年を見事に乗り切った感がある。
 思えば、やる気がないとか東京にオケが多すぎるから…といった理由で存続さえ危ぶまれた中、まさに火中の栗を拾い、ちゃんと拾いきった功績は大きい。この時期はベルティーニは他界、フルネは引退、補助金はカットといった状況の中、デプリーストは率先した学校訪問や『のだめカンタービレ』とのコラボをしたりで周囲の耳目を集めた。おかげで、「都響はいらない」的な妄言を吐く人間もいなくなったのではないか?

 今回もなかなか凝ったプログラムで魅せる。特にショスタコーヴィチの12番なんかそうだった。デプリーストのショスタコーヴィチは一昨年の8番以来。

 さて、順に感想。
 ハイドンは小型の編成(ハイドンでは普通)だったけれど、造形がしっかりとしていてなかなかよかった。個人的にハイドン交響曲は弦楽器がカギを握ると思うので、その弦のアンサンブルが手堅かったのが良かったのかなと思う。
 モーツァルトのピアノ協奏曲も12型の編成で、こぢんまりとしない健康的なモーツァルト。中庸なモーツァルトといえばいいのかな。その意味では健康的な演奏だった。
 管理人は内田光子ハスキルの同曲のCDを良く聴いているので、それから比べてしまう傾向があるのを承知で言うと、これといった特徴に乏しいのかな、とおもう。「モオツアルトの哀しさは疾走する。涙は追いつけない」みたいなことを小林秀雄は書いているけど、確かにピアノ協奏曲第23番はこの表現に近い気がする。それで言うと、楽天的な演奏だったとも言える。

 ショスタコーヴィチの12番はなかなか演奏機会が少ない曲だから、生で聴けるのが嬉しかった。よく言われるようにソビエトの10月革命を記念して、いわばレーニンへの賛歌として書かれた曲だとして評価が低い曲だ。ただ、こうした見方に反対の研究もあり、真相はハッキリしない。
 政治思想史を専攻していた管理人からすると、ショスタコーヴィチの場合はやはりコンテキスト(作品成立上の文脈)から判断する割合が大きいんだろうと思っている。それでいえば、必ずしも「ソ連バンザイ」的な音楽であるとは言えないだろう。残念ながら音楽理論をやってないからこの手の話はサッパリなんだけど、どーも聴いていると単純に「ソ連バンザイ」でないような音楽なんだよね。5番や7番みたいなスッキリとした和音の響きじゃないし、その響きは明るさと共に不吉さを孕んでいるような気がしてならない。

 さて、肝心の演奏だけれど、凄く良かった。特に「緊張」と「解放」のバランスがとれていたと思う。ムラヴィンスキーみたく終始「緊張」が支配する音楽だと、この曲に内包される厳しさが全面的に出てきてしまうし、かといってバルシャイみたく割と「解放」しているとこの曲が随分肯定的になってしまう。この両者のバランスが今日の演奏では美味く解決されていたと思う。
 第一楽章冒頭のチェロがffで開始されるところから都響の見せ場である、弦のアンサンブルが非常に冴え渡っていた。このレーニンへの賛歌という側面を持つ曲の「緊張」と「解放」の関係は、個人的には社会主義リアリズムにあって形式的な肯定性を伴いつつ、そのように築かれたソビエトのその後を身を以て知るショスタコーヴィチにとってみれば「肯定的に書けば書くほど、逆に皮肉っぽくなる」ことを暗示させているのではないのかな、とも考えられる。それで言えば、今回は非常に効果的が狙えるところは効果的に演奏していた。もちろん、デプリーストの志向からすれば「タガが外れた」熱狂みたいな世界とは無縁である。だからこそ、この曲の「形式的な盛り上がり」が反対に鋭く浮かび上がり、「それとは正反対のソビエト」が想起されるのである。
 管理人が勝手に感じただけかもしれないけれど、仮にそのような意図を持ってデプリーストが望んだのだとしたら、凄いことだと思う。

 弦楽器の素晴らしさに比べると、途中、管楽器とのアンサンブルがずれていたところもあったけれど、打楽器群が活躍したこともあって、管理人的には非常に満足できた。というよりも、今日の演奏会は「聴きモノ」であったと思う。

 デプさん、今後も年1回くらいのペースで来て欲しいなぁ…。