あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

そろそろシステムを変える必要がある?


 千葉県八千代高校の入学金未納→入学式への出席停止問題に関連してこんな記事があった。
 まずは毎日新聞

【 授業料・入学金:都道府県立高校の滞納総額、4億6千万円】


 全国の都道府県立高校で、06年度の授業料・入学金の滞納が総額4億6000万円に上ることが毎日新聞の調査で分かった。督促強化や、条例・規則改正で出席停止・退学の措置をとれるようにするなど、対策強化に乗り出した自治体も多い。千葉県で入学金納付が遅れた生徒を入学式に出席させない事態が起きたが、専門家からは補助制度充実など国にも対策の強化を求める声が出ている。   

 調査は47都道府県教委を対象にした。授業料の滞納額は大阪府が最も多く2億2611万円(滞納者数2768人)。▽北海道5072万円(同1060人)▽神奈川県4124万円(同775人)−−が続いた。

 こっちは東京新聞

都道府県立高の授業料など 滞納8000人、4億3887万円】


 都道府県立高校の授業料と入学金の滞納額は二〇〇六年度だけで計約四億三千八百八十七万円(一部累計も含む)に上り、滞納した生徒は延べ八千四十八人だったことが十九日、共同通信の全国調査で分かった。

 今月、千葉県と長崎県の県立高校で入学金の未納で生徒を入学式に出席させない事態が明らかになったばかり。各教育委員会は停学や退学につながりかねない滞納を減らそうと、督促などに懸命だ。経済的な事情が主な理由とみられるが、親のモラル低下を指摘する声もある。

 都道府県教委に〇六年度の決算などを聞き、金額や人数をまとめた。

 授業料の滞納額がトップだったのは大阪府で、二億五千百七十八万円(滞納者三千五百十九人)だった。次いで北海道五千七十二万円(同千六十人)、東京都二千三百万円(人数未集計)の順だった。

 大阪は入学金の滞納額も最も多く、三百八十六万円(滞納者八百五十八人)。

 秋田や石川、京都など九府県では、授業料の滞納はなかった。

 滞納の一因に、親の納付意識の低下を挙げる担当者も多く、各教委とも対策に苦慮しているのが実情だ。

 文部科学省が統計をとる「学校基本調査」でも明らかなのだが、高校進学率は調査開始の1950年こそ40%ほどなのだが、すでに1973年には90%を超えている。
 ここから考えられることは世代間での意識の違いがあるのではないだろうか。つまり、1973年時点で高校進学率は90%を超えたけれど、当時、高校生の子どもを持つ親世代の半数以上は高校進学果たせなかった世代である。彼ら親世代にしてみれば、高校に通わせることが将来の子どものためであるという意識もあったろうし、自分たちが受けられなかった高等教育を受けさせたいという意識があっただろう。
 そうした意識を持つ親であれば、入学金未納という問題は大して起こらなかったのではないだろうか。つまり、高校進学が当たり前ではなかった親世代にとって、高校進学は意識的にするものであって、そこには親の能動的意識が存在するのである。

 しかし、現在ではそうはいかない。
 今、高校生くらいの子供を持つ親世代はすでに高等教育が一般化した時代に高校進学を果たした世代である。彼らにとって、高校進学はかなり主体的な意志を持ってするものではなく、いわば義務教育の延長として、「誰もが進学するものだ」という意識の中で育ってきた世代である。
 だとすれば、高校進学に対する主体的なインセンティブはあまり働かず、高校進学は(彼ら親の中には)義務教育同様の、当然の権利だと思っているのではあるまいか。

 だからここで制度と親の意識のギャップが生じるのである。
 あいにく、日本の高等学校の制度は未だ終戦直後のままのスタイルを保っている。すなわち、意欲のあるものが進学する、という前提で高等学校は学校運営が為されるような制度なのである。「行きたくて来ている」と考えているという前提に立つ学校と、「行くのは当然」と思っている親との間では、親として要求される(要求されている)意識に大きな開きが出てくるのは当然といえるだろう。
 従って、社会構造的な変化という側面から、入学金未納の問題が出てくるのである。もちろん、このことは社会的格差によって入学金ないしは授業料が支払えないという家庭が存在しないことを意味しない。生活保護受給世帯数は100万世帯を突破して久しい*1し、公立学校で授業料の減免措置をとっている生徒は生徒者総数のおよそ1割にあたる*2。そのことを考えるならば、教育における格差問題は喫緊の課題である。

 両者を綜合して考えてみると、おおよそ解決の方向は二つで、授業料を徴収するシステムを大幅に改め、場合によっては地方税同様、差し押さえもできるような強制力を学校(または役所)に持たせるか、あるいは高等教育をシビルミニマム(国民最低限)として希望者全員に入学可能なシステムに転換する*3かのどちらかになるだろう。

*1:東京新聞 2006年10月7日より

*2:毎日新聞 2007年4月3日より

*3:なお、この点に関してはkechack氏がMunchener Brucke 高校教育はシビルミニマムで展開されているので、そちらを参考。