あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

近代中国で生まれた権力@野村浩一著『近代中国の政治文化―民権・立憲・皇権』

近代中国の政治文化―民権・立憲・皇権

近代中国の政治文化―民権・立憲・皇権

 著者の野村浩一氏は1930年生まれで、立教大学の名誉教授。専門は中国近代思想史。中国近代思想におけるまさに泰斗と言っていい。そんな著者が2006年までに発表した3つの論文を加筆修正の上、一つに纏めたモノが本書である。

 従って、本書全体を通じて意図的に中国の政治文化を真正面から論じているわけではない。しかし、それぞれの論文で取り扱う孫文、張謇、胡適を通じて、そこに一貫して存在する中国の政治文化について著者自身の一貫した問題意識が内在されているのだろう、個々の思想とそれを受容する社会との関係について言及しているのである。

 以下は管理人による非常に大雑把な読書メモ。

 孫文は13歳にしてハワイで成功した兄を頼って留学を果たし、そこで伝統的中国の価値観と全く断絶した世界を目にして大いにショックを受け、それとともに、そうした欧米の合理主義的世界観を学んで中国へと帰国する。したがって、著者の表現を借りれば孫文は確かに「マージナル・マン」(辺境の人間)なのである。中華民国建国の父、孫文であることは間違いないのであるが、そうした中華民国の理念や、行動力というのは伝統的中国的価値観によるモノではなく、むしろ、そうした西洋合理主義的価値観の産物であった。
 しかし、孫文はそうした合理的価値観を完全な形で中国に展開するようなことはしない。そこへは中国に土着する伝統的な「公」(=公平原理)にいわば接ぎ木する形でそこに共和政体の樹立を図ろうとするのである。従って、中国の皇帝・官僚支配とそれをある意味において下支えした「農民中国」の伝統の、とりわけ後者の部分を継承する形で孫文中華民国の基礎としようとしたのであった。


 さて、孫文よりも一回りほど先に生まれた張謇は清朝において活躍した官僚である。しかし、当時の官僚の中では卓越した先見性を持ち、激変する国際関係の中にあって当時直面していた清朝の困難な状況を乗り越えるには「立憲」を非常に強く意識していたことが明らかにされる。張謇において強調されるのは手続き的あるいは制度的な次元での「公」の実現である。
 つまり3000年余りにわたって中国を支配してきた皇帝権力による統治から、その枠組みを立憲という形でモデルチェンジしていこうとしたのが張謇の試みであるだろう。


 こうした、中国に伝統的に土着する「公」あるいは政治的「公」というものをいわばテコにして中華民国は成立に向けて平坦ではない道を歩むことになるのだ。


 さて、こうした世代よりも30年以上後に生まれる胡適は、魯迅らと共に五四新文化運動の旗手として非常に華々しく活躍していた知識人であり、自由主義派の代表的な人斑である。日本における福沢のようなものだろうか。
 アメリカに渡り、プラグマティズムの哲学者として有名なジョン・デューイに師事した胡適は、中国の政治文化に対して根底的な思索を展開し、中国における文化啓蒙活動に邁進する。近代政治学の原理と中国の伝統・文化によって規定される現実政治の対立にあって、胡適は伝統的な文化の批判を行うことになる。
 そして政治の公開を通じて、政府が常に人民の幸福を追求しているかが問われ、また、政府はそうした人民の幸福を実現する政治的道具であるという考え方が示される。
 ここではpublicityとしての公共が唱えられ、伝統的な動投句的価値観から独立した個人主義というモノを思考したと考えられる。


 本書はこの三人を中心に据えながらも、孫文の思想を儒教的に解釈し直す戴季陶や、マルクス主義と結びつける毛沢東なども取り上げている。
 さらに、胡適と同じ自由主義派の丁文江らも認識においては同じくするが、中国の置かれている状況を考えて、立憲政治、民主政治を行うまでの過渡的段階として開明専制を主張したりして、このあたりの思想潮流は様々に渡っている。さらに事態をややこしくするのが、満州事変以降の日本の中国侵略が存在し、その対応にも迫られていると言うことだ。
 つまり、利点的に自由主義を追求すれば事が足りると言うことはなく、そもそも立憲政治を樹立させる中国という国の枠組みそのものが存亡の危機に立たされているという認識もある。(そんな中でも胡適は非常にラディカルに中国における自由主義的思想の剔抉を試み続ける)

 そして、孫文袁世凱蒋介石と非常に大まかながら続く中華民国の流れは本来、孫文が志向しような農民中国の上に立つ権力ではなく、殷周時代から清朝まで続いた中華帝国の持つ皇権そのものであった、ということができる。しかし、辛亥革命以降、いわば「公」による大義名分がある以上、皇権を内包した中華民国は成立当初から既に瓦解の契機を孕んでいたことになる。そうしたアンビバレンスな状態にあったからこそ、農村の開放を掲げた毛沢東に一気に取って代わられた、と思想史的には見ることができるだろう。


 さて、このようにして概観したときに、果たして、現代中国はどのように考えることができるのか。中国共産党による一党支配がこのまま永続していくとはなかなか考えにくい。ひょっとしなくても管理人が生きている間に中国の政治体制はドラスティックに変化するかもしれない。
 しかしながら、そうした中国社会の持つ伝統や文化的価値が近代以降の政治原理とどこで親和し、どこで反発するのか。半世紀以上昔に、胡適が真剣に思索した軌跡をたよりに、考える契機を与えてくれる本書は貴重である。
 そして何よりも、当時の複雑な思想・文化状況をある意味において非常にメリハリ良く、その特色を摘出するのは著者の力量によるところが大である。単なる単純化とは全く次元を異にする、この本書における見通しの良さは、やはり長年この問題について研究を続けてきた著者ならではの業績だと思うし、また、それゆえ、本書はこの時代における思想・文化を知る非常に重要な書籍になることは間違いない。
 また、当時の中国の思想・文化だけを知りたい者だけではなく、民主主義を「取り込む」国においてどのような事が起こりうるのか、という思想的営為を知る上でも極めて示唆に富む本である。