東京都交響楽団 第663回定期演奏会 Aシリーズ
2008年5月19日(月)19:00開演 東京文化会館
指揮:小泉和裕
ピアノ:アリス=紗良・オット
曲目
【小泉和裕 レジデント・コンダクター就任披露公演】
リスト:ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調 『ワーグナー』(1888/89ノヴァーク版第3稿)
久しぶりの「ブルックナーらしい」ブルックナーだった。
なんかこのところ、都響はマーラーが多くて、それはそれで良いんだけど、管理人はマーラーよりはブルックナーの方が好きなので、久しぶりのブルックナーは嬉しかったりするもんです。
ただ、マーラーという作曲家に特有なのか、マーラーって解釈の幅が広いように思えるんですよね。それこそ、ワルター、メンゲルベルク、クレンペラーから始まって、バーンスタインがいるわけですが、そのほかにもバルビローリやノイマン、テンシュテット、シャイーにアバド、そしてベルティーニやインバル…と結構「マーラー指揮者」と呼ばれるヒトの演奏は結構いろんな解釈に幅があるながらも、なかなか説得力がある。
宇野功芳の影響なのかどうなのか良く分からないモノの、それに比べるとブルックナー指揮者の演奏ってそこまでの解釈の幅は広くない。クナッパーツブッシュからヨッフム、朝比奈隆にヴァント、アイヒホルン、ティントナー、スクロヴァチェフスキーなどなど、やっぱり、このあたり聴くと「あー、ブルックナーだな」っていうおおよその枠みたいなモノがある。
きっと、ブルックナーの作風が関係しているとも言えるのだろう。元来、細かく指示を楽譜に書き込まない上に、さらに対位法的手法で書かれた曲をどう捌くか、みたいなところは、それこそ、ずーっとブルックナーを演奏し続けてこないと、分からない世界のものだと思う。
だから、ブルックナーを普段演奏しないヒトが、たまに演奏すると、ブルックナーのお化けみたいな演奏になってしまって、スケール感が損なわれたりする。
けれど、今日の演奏はそんな杞憂はなく、「ブルックナーらしい」ブルックナーだった。多分、第3番っていうのも大きいと思う。これが第5番や第8番なら失敗していたんじゃないだろうか。その意味で選曲が良かったのかもしれない。
初期のブルックナー的な処理をしていたので、多少のテンポの揺れや、弱音奏法などがあったものの、この曲の構造にマイナスに作用するまでにはいたらず、むしろちょうど良いくらいだった。なかなか響きが凝縮していたとでもいえばいいのかな。
小泉和裕はマーラーよりもはるかにブルックナーに向いている指揮者だと思った。飯守泰次郎もブルックナー向きだと思うんだけど、小泉は基本的に外連味のない解釈をするので、ブルックナーには向いている。もうちょっと、休符をハッキリととってくれると、個人的にはなお良いんだけれどね。
でも、まだ50代だから、これからブルックナーをずっとやっていけばブルックナー指揮者になれそうな予感がする。
余談になりますが、以前、NHKFMでエアチェック(←死語に近いな)したザンデルリングの演奏がすごく良かったんだけど、CD化しませんかねぇ…。