あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

外からの視線とウチからの視線

 船場吉兆の廃業会見である。

 断腸の想いとか、この女将云々は他の日記や掲示板でもご覧になればいいと思う。

 なんだけど、管理人が気になったのは、船場吉兆というカイシャは創業以来の危機に当たって、その危機を乗り越えられる人間をトップに持ってこられなかった、というトコロである。

 僕らみたいに、外部からこの事件の顛末をみている人間にとってすれば、「なんで女将を社長にするの?」と思ってしまうんだけど、「吉兆内部においてはそれが最善の選択肢だと思われた」という事実の方が実は深刻な問題を孕んでいるのではないかと思うのだ。

 じつはこれは広く社会において往々にして見られる現象である。

 日本史においても、近衛文麿のあとに総理大臣についたのは東条英機であったし、(ゆえに戦争に突っ走ったまま止まらなかった。木戸幸一の日記とかあるけど、やっぱりウチからの発想だと思う)、それこそ、身近なところでは会社の上司や、はたまたサークルのリーダー選出でも似たようなことがある。(私的組織の私情に駆られた内紛は得てして脱退や分裂を含むことが多いし)


 だとすれば、組織の内部にいて、外部の視点を持つ、というのは結構難しい話なのかなぁ、とも考えてしまう。とりわけ、内部の結束が堅い場合、その傾向は顕著かももしれない。居心地が良いと、その組織の内部で固まってしまうからね。
 そーいう居心地の良さは働く環境上ではプラスなんだよね。だからカイシャが上手くまわっているときはいい。だけど、一端、傾き出すと…ということになる。

 ビジネスライク、という言葉は好きじゃないんだけど、ある程度は必要なんだろうな。
 (まー、監査役は一体何をやっていたのか?という話でもあるんだけどね)