あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

新川 敏光『幻視のなかの社会民主主義』

 著者は京都大学教授。専攻は比較政治学
 社会民主主義に関する学問的研究は今日数多く為されている。ただ、そうした研究は比較政治学的な分野から扱われることが多い。例えをあげれば、福祉国家との関係でスウェーデンを筆頭とする北欧の社会民主主義を研究したモノなどである(宮本太郎など)。
 それとは異なるベクトルとして、日本の社会民主主義運動史の観点から研究されることもある(例えば、高橋 彦博『現代政治と社会民主主義―三つの潮流とその実験』)。そして、その延長線上として日本社会党研究があるといえるだろう。いわゆる「55年体制」の戦後政治にあって、細川連立内閣の登場まで、社会党が政権に参加することはなかった(片山内閣は55年体制以前)。しかし、「1と1/2政党制」のもと、常に野党第一党としての地位を保っていた社会党は、国対政治を通じてフォーマル・インフォーマルな形式で、ある種の自民党との「阿吽の呼吸」ともいうべき関係を築いてきたとも言える。
 従って、政策決定過程に目に見える形で社会党は参加していないながらも、そうしたフォーマル・インフォーマルなパイプを通じた社会党的な政策の反映というのは、全く存在しなかったというわけではない。そこに社会党研究が為される余地があるといえる。
 やや脱線が長くなってしまったが、本書においてはそうした背景を踏まえつつ、まずスウェーデン社会民主主義モデルを一つのメルクマークにし、そこから戦後日本政治の文脈における社会党を位置づけようとする。そのうえで、社会党がいかなる権力資源動員を持っていたのか検討するモノである。そうした観点から、55年体制における社会党の果たした役割と限界について論じる。


 日本の社会民主主義にとって不幸だったことは、社会民主主義のモデルとなるマルクス思想ないしはマルクス主義の特異な受容の仕方による。ただ、丸山眞男が指摘するように、これはマルクス思想の受容に限らず、欧米の思想全般が、思想成立の文脈を踏まえることなく、まさにブツ切りの状態で日本に流入してきたという事実に由来する。
 しかし、日本においてマルクス主義は、戦前の裏返しによる一種の正当性を戦後獲得したことが、社会党における左派、講座派の隆盛をもたらし、社会民主主義の確立を送らせたと考えることが出来るだろう。
 それと関連するのが、やはり日本におけるアジア・太平洋戦争の体験である。その徹底した平和主義に対する国民の共感が大きかったこともあって、日本の左派政党は、軍事力の行使を含めた、いわゆる権力のハンドリング要素というものを本質的に欠いていた。そして、同様にして、社会党自民党への対抗関係上、そうした徹底した平和主義というモノを、党存立の中心に据えざるを得なかったのである。(しかし、注意しなければならないのはこのことが悪いと言っているわけでは決してない。皮肉なことに、社会党社会民主主義化を遅らせる要因になったこの徹底した平和主義は、日本の戦後平和運動の一翼を担ったこともまた事実である)

 また、労使の対立は高度成長期に入ると、労働者の企業への取り込みによって内部化されてしまう。従って、コーポラティズム的な北欧の社会民主主義のモデルを社会党が採用する前に、その権力資源動員の要であった労働者が社会党から離れていくという社会構造上の問題があったのである。
 だから、仮に社会党社会民主主義化したところで、すでに「民主社会主義」の看板を掲げていた民社党が結党時を最大にして、以降、長期的に凋落していった事実から、現実路線を取ったところで、党勢を拡大できたかどうかは疑わしい。(ゆえに、批判勢力に徹するという路線をとり続けたとも言える)
 しかし、この最大の批判勢力としての社会党55年体制の崩壊によって、自らの存立基盤そのものを掘り崩さざるを得なくなる。江田三郎による構造改革論争や「道」の採択など、幾度も現実路線=社会民主主義化への契機は存在したが、その度ごとに左派の巻き返しにあって、いつまで経っても国民政党化しなかった社会党が、一気に現実路線への梶を切るのは、社会党自民党と連立を組み、委員長であった村山富市が首相になった、というまさに非常時の意志決定プロセスが働いた結果である。

 その後の社会党社民党の流れは周知のことである。一般有権者に党是としてきた徹底した平和主義の看板を下ろし、現実路線へと転換したことは有権者の離反を生み(ということは、仮に現実は困難だとしても9条の掲げる理想を捨てることには抵抗があるという有権者のマインドがあった?)、党勢は一気に衰退していくことになる。ただ、そこには最大の支持組織であった旧総評、つまり連合の思惑や、選挙制度などのさまざまなアクターや制度的な問題もあって、社会党社民党)の凋落を招いたと考えるのがベターであろう。
 
 しかし、この点だけからみて、日本において社会民主主義が必要ないという結論には至らない。西欧諸国のように社会民主主義政党が強固な勢力を築くだけの社会的要因に乏しかったのは、かつての日本社会である。今日直面している、格差問題や正規雇用・非正規雇用の問題、さらには労使問題など、本来、社会民主主義が正面切って取り組むべき政策イシューがこのところ浮上している。
 だとすると、(どの政党がそうした政治的理念を掲げるかはともかく)純粋な政治思想としての社会民主主義というのは今日においても、その価値は些かも減じることはないと思われる。