あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

2008真夏のじゃーにー@長崎Ⅰ

 高尾に行った翌朝から長崎へ。
 早朝の羽田は夏休みと言うこともあって、家族連れが多い。昔は早朝から開いている軽食屋でカレーなんて食べていたんだけれど、今回から「空弁」にしてみた。だって、重たいんだもん。朝からカツカレーとか。
 空弁もほんとにピンキリで、あっさりしたものからこってりしたモノまでバラエティに富んでます。管理人はおにぎりと煮物を中心とした和食な弁当。揚げ物一切無し。どのみち長崎でちゃんと食べるし。


 長崎空港有明海の中に浮かんでいます。なんていうのかな、羽田みたいな感じですよね。ただ、それよりも、もっと海の上に作りました感があって面白いけど。

 さて、長崎空港から高速で1時間くらいで長崎市内。

 長崎のシンボルとなっている、平和公園内の平和祈念像
 前回来たときには、修繕作業中で、シートに覆われていたけれど、今回は全容を拝むことが出来た。幸いこの日の天気は晴天。非常に暑い。
 1945年8月9日当日は曇りだった、というけれど、この平和祈念像から見上げた青空は人々の核廃絶への祈りが届くかのように感じられた。

 浦上天主堂。浦上教会とも言う。今も教会として使っているため、入り口から中を見るくらいしかできない。
 ここも爆心に近いこともあって、原爆によって木っ端微塵になった。
現在は原爆による破壊の前と同じように復元されている。

 けれどその一角にはこの像のように原爆の凄惨さを物語る。その熱によって、表面はざらつき、爆風によって多くの傷がつき、頭部が吹き飛ばされている。


 その後、長崎原爆資料館へ。
 なお、2003年に国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館が完成。原爆による死没者名簿を保管し、文字通り「追悼」するための施設になっている。そして、平和学習が出来るような資料館としての役割も果たす。
国立長崎原爆死没者追悼平和記念館
 原爆博物館が原爆によって破壊された建物や遺品の展示などを行っている。広島の平和祈念館が死没者追悼記念館と分離している(平和祈念公園内にはある)のに対して、長崎の場合は、廊下で繋がっており、そのまま見学できるのが特徴的だ。
長崎原爆博物館

 これらを見学した後、2005年に出来たばかりの長崎歴史文化博物館へ。
長崎歴史文化博物館


 ちょうど、昼下がりだったので、博物館内にある洋食屋でランチ。
 長崎名物の「トルコライス
 ナポリタンスパゲッティにピラフとトンカツがのっかる究極のB級グルメ。なぜ「トルコ」というのかについては諸説あるらしい。これを3つ食べると大したボリュームになる。お腹を空かして食べるべし。

 博物館の展示は主に、江戸時代に重きを置いています。出島を持ち、幕府の対外貿易を独占していた長崎ならではの展示です。
 博物館内では「白州」という、遠山の金さんとかで出てくる裁判する場所があって、そこも再現されてます。この日は、地元のボランティアのヒトが、当時実際にあった「お裁き」を演劇で再現していました。
 ちなみに、遠山の金さんこと遠山影元の父親、遠山影晋はこの長崎奉行として活躍。

 この歴史文化博物館、かつて長崎奉行所があったところに再現してあるので、当時の建物を一部再現してあって面白い。さっきの「白州」もそうだけれど、表玄関や広間、トイレなども復元されている。


 この後、一端ホテルへ。
 また暗くなる前に、出島へ向かいますが、それは次回へ続くってことで。