あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

草野厚『政権交代の法則――派閥の正体とその変遷』

政治家たちはなぜ集まり、なぜ離れていくのか。集合離散の法則を解説。
「ねじれ国会」の出現により日本の政治は戦後初めて政策協議が可能な環境が整ったといえる。再編成されていく政治地図の中で、政治家たちはどうつながり、誰が台頭していくのか明らかにする。

【準推薦】
 今月(2008年8月)に出た本。著者はテレビでもおなじみ、慶大の草野教授(専攻は政治過程論)。

 政治学専攻でやってきた管理人なので、本書に書かれている内容はほとんどが「そーですね」(←いいとも風)というような内容だった。
 もともと、自民党にあれだけ強固な「派閥」があるのは、日本の政治史の文脈を抜きにして考えることは出来ない。そして、日本的な風土の問題もあるようだ。
 たとえば、本書にも挙げられている例なのだが、アメリカでも大統領候補者選定に際して「ヒラリーか、オバマか」といったアメリカ民主党内でのグループというのはある。しかし、それはヒラリーや、オバマが自力で開拓したグループであり、恒常的なモノではない。
 それに対して自民党の派閥は自民党「総裁」(国会最大規模の政党党首であるわけだから、憲政の本義において総理大臣になると考えていい)の選出時だけに出来上がるグループではない。初当選した「一年生議員」の面倒から、派閥メンバーの閣僚への斡旋、果ては「餅代」、「氷代」と称する政治活動費用の工面(というか補助)まで、まさに政策集団と言うよりは政治活動全般にわたって関係する党内集団なのである。
 そもそも派閥の誕生は1955年以前の、複数の保守政党がいわば「大同団結」して自民党が結成された事とも関係する。その時の出身政党別にグループ単位で活動していたのが恐らく最初であろう。
 それは1994年までの選挙制度、「中選挙区制」(3〜6名が当選)に非常に大きく関係している。この選挙制度の下では自民党単独過半数を獲得するためには、それぞれの選挙区に定数1では全然足りない。それぞれの選挙区に複数の候補者を立てざるを得ないのである。そうすると、自民党の候補者は、他党候補者とも議席を争わなければならないが、それ以上に、同じ自民党の候補者とも議席を争わなければならないのである。
 同じ政党の候補者でありながら、複数立候補する場合、そこには「差異化」は必然的に生じる。それを可能とするシステムが派閥なのである。従って、中選挙区制時代の選挙では選挙期間中、大物政治家は、自らの派閥の候補者を応援するべく日本中を駆けめぐるのである。
 さらに「数は力なり」というように、衆議院定数(約)500のうち、半分を占めれば政権与党である。過半数をとった政党内で、自らがトップになるためにはそのうちの半数、従って251のうちの126人の支持を取り付ければいい。そこに派閥の力学が介在してくるのである。
 こういった背景があって、派閥は55年体制で機能し続けたのである。55年体制では一貫して自民党政権政党の座にあり続けた。従って、本来であれば政権交代によって促されるはずの新陳代謝は、派閥の主流・非主流の交代によって実現したと言っても過言ではない。本書の表現を借りれば、この疑似政権交代によって、政権交代は起こらない(=政治が腐敗する)。にもかかわらず、その弊害は最小限に抑えられていた、と見ることが出来るだろう。
 こうして戦後日本政治史(政界史のような気もするが)の中で欠かせない存在であった派閥であるが、小選挙区制の導入でかつてのような力はなくなってはいる。しかし、それでも消滅することはないだろう。人間誰でも好き嫌いや、ウマの合うあわないは存在する。そうした人間くさい人間関係の上にも派閥は成り立つのである。
 本書はこうした、派閥の果たした役割を、55年体制自民党の歴史を追うことで説明している。さらに、「小沢一郎」という政治家が果たした役割をその中(自民党内の派閥の力学)に位置づけて考えているのも興味深い。なかでもとりわけ魅力的なのは、小泉内閣以降の日本政治の分析をしているところであろう。こういった内容は、論壇誌や研究誌を読まないと載っていないことなので、最近の「政界」の内幕について知りたいなら読んでみると良いかも。


 レベル的には大学1〜2年生くらいで充分読める内容である。政治に興味を持ったのだが、政治学をかじったことは全くないというヒトにはお勧め。ただし、ちょっとかじってると、物足りなく感じると思う。
 新書レベルであればこのへんも関係するのでご参考まで。

戦後政治史 新版 (岩波新書)

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自民党と戦後―政権党の50年

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