あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

フツーのヒトじゃダメだった@福田首相辞任雑感

 前任者安倍に続いて、福田も端から見たら「突然の」辞意表明だ。
 それに関して、いろんな話が出てくると思うが、さしあたり、このあたりが適当じゃないのかなぁ、と思う。

<首相退陣表明>主導権発揮できず 国民目線目指すも
9月1日23時33分配信 毎日新聞

首相は当初「官僚寄り」と見られていたが社会保険庁年金記録照合漏れや、薬害C型肝炎訴訟での官僚の対応に不信感を募らせた。このため、昨月12月には被害者を一律救済する議員立法での法律の国会提出を決断。さらには消費者行政を一元化する「消費者庁構想」を発表し、「国民目線の改革」を鮮明に打ち出した。ただ、こうした首相の姿勢も8月1日にできた改造内閣では浸透せず、太田誠一農相が「消費者がやかましい」と発言するなど、政権内部の乱れにつきまとわれた。経済政策では伊吹文明前幹事長を財務相に、与謝野馨官房長官を経済財政担当相に充て「経済重視」の布陣をとったが、総合経済対策の取りまとめでは、定額減税の実施を求める公明党との調整が難航。最後まで主導権を発揮できなかった。

 小泉内閣と違って、旧来の永田町的な自民党の論理に従って誕生した福田内閣は当初からある目標に向かって突っ走ると言うことが難しくなっていた。それは言うまでもなく、総裁選の時に福田康夫という御輿を担いだ大勢の連中の思惑がまさに呉越同舟であり、経済政策一つとっても上げ潮派・バラマキ派(旧来型派)・増税派と入り乱れながら、支えられてしまっていたからである。
 権力資源動員の観点からすれば、党の大勢の支持を得て総裁に就任したということは、プラスに作用するはずである。しかし、主流なんだか反主流なのかが分からない、挙党的内閣は結果、施政方針一つとっても総花的になってしまい、政権の軸というモノが定まりにくい。
 さらに、福田康夫自身、会社員経験が長く、その後の秘書経験も長かった為に、政治家にしては珍しい「フツー」のヒトだとおもう。ここでいう「フツー」とは「市井の人」とか「庶民感覚を持っている」と言うわけではなく、政治家として持っているカリスマ性やリーダーシップ、言ってしまえば、豪快さ、のようなものだ。
 そのような福田自身のパーソナリティに、先に挙げたような党内状況、さらにねじれ国会という政治状況にあってリーダーシップを発揮する、とか、ある程度の「力業」が必要なのだろうが、それだけの「変人さ」はフツーのヒト福田には持ち合わせていなかった、ということだろう。

総理の辞め方 (PHP新書)

総理の辞め方 (PHP新書)

 さて、こないだ出た『総理の辞め方』に、福田康夫の項目がある。
 福田がかつて語った、政治家の資質は「辞め時」なのだそうだ。だとすれば、7月の通常国会終了後、いつ辞めるかということについて思慮していたに違いない。その結果が9月1日に辞意表明ということになったのだろう。
 管理人にとってその表明は意外であった。それは「責任の取り方」云々もさるものながら、「政治家はもっと権力に執着するモノだ」という思いこみがどこかにあったからだろう。ただ、それがフツーのヒト福田には欠けていたというだけなんだろう。


 ところで、この辞任に際して野党からは「無責任」と誹る声が上がっているが、それは言い過ぎだ。むしろ胸を張って「辞任は野党が一致結束して追い込んだ結果である」と高らかに宣言すればいい。そして、辞任は自民党政治の行き詰まりそのものだとして、衆議院の解散→政権選択を争うように訴えていけば良いだけのことだと思う。
 それにしても前任者・安倍が余りに酷かったから福田はまともに見えたんだけどな。