あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ 419) (単行本)

橋本 努

経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ)

経済倫理=あなたは、なに主義? (講談社選書メチエ)

内容紹介
現代市場社会にいかなる倫理があり得るか? リベラリズムコミュニタリアニズムリバタリアニズムマルクス主義―錯綜する経済イデオロギーを具体的かつ明快に解説。説教ではない「使える」倫理を学ぼう

準推薦

 政治学だと「政策的対立軸」というのがあって、例えば、「9条を改正して自衛隊を正式に軍隊とするべきか」とか「労働者は自らの権利を守るために組合を作りストライキをすることを認めるか」などなど、といった質問事項によって、その人を政治的に「保守的」であるか「進歩的」であるかに分類することがある。(政治的左右の対立軸)
 これに経済政策上の政策対立軸が存在して、「政府は民間にできることは民間に任せ、経済に介入するべきでない」とか「社会的弱者のために、富裕層から税金を多く取り、福祉に充てることに賛成か」などなど、といった質問事項によって、その人を経済政策的に左右に分類することがある。 
 こうした政治的・経済政策的な対立軸を二次元のモデルにしたモノが、その画像のような感じになる。


 本書は経済倫理ということもあり、その重点は経済政策的な対立軸について、著者の観点から分類したモノであり、その著者の分類を通じて、読者は自分が「どの主義に属するのか」ということを自覚化させることを目的として書かれたと言っても過言ではない。
 本書ではそうした分類化した政治的立場を8つの類型にする。すなわち新保守主義ネオコン)、新自由主義ネオリベ)、リベラリズム福祉国家型)、国家型コミュニタリアニズム、地域型コミュニタリアニズムリバタリアニズム(自由尊重主義)、マルクス主義、平等主義である。
 これらの立場(イデオロギー)に対して、それがどのような性質のモノなのかということを説明し、具体的な最近の経済問題について、それぞれの政治的立場からならどのような結論が導けるか、ということを考察しているというのが前半部分の主な内容と言っていい。

 後半部分はジェイコブズの議論を更に発展する形で市場の倫理と統治の倫理を考察する(ただし、まとめとしては普通の内容)。
 ただし、管理人の個人的な関心は、第6章のイングルハートの議論の導入であった。そこでは文化的価値構造とイデオロギーの関係が(マルクス主義の言葉だと、上部構造がイデオロギーに影響を与えるのか)、そして、文化的価値構造と経済状況(同じく、下部構造)との関係性についてイングルハートのデータを紹介することで、論じている。結論から言ってしまえば(当たり前なのだけれど)、文化的価値構造とイデオロギーの間には、ある程度の相関関係が見られるし、同様に、文化的価値構造と経済状況の間にもある程度の相関関係が見られるということだろう。
 

 日常生活を送る多くの人々は、気づいていないだけで何かしらの思想を持っていると言えるのではないだろうか。それを本書は「自覚化」させる試みであるといっても良い。ではなぜ、自覚化が必要なのか。本書はもっぱら、自分が単なる日和見主義に陥らない、という観点から説明するのだけれど、管理人は違った角度からある程度の自覚化は必要だと思っている。

 つまり、なぜ政治・経済政策的立場(イデオロギー)を自覚化させる必要があるかといえば、それは自らが投票行動をする際の一つの判断基準になりうるからである。
 たとえば、子ども権利問題からすると、二つの対立する考え方がある。一つは、子どもには判断能力がないから、大人が保護すべきだという考え方(パターナリズム)。この考え方に則れば、子どもが仮に事件や問題を起こしたとしても、それは判断力の未熟な子どもゆえに、大人同様の罰を与えることはできない。その代わり、判断力が未熟であるがゆえに大人と同じような自己決定に関する権利は与えられないのである。
 これとは逆に、子どもに大人同様の権利を与えよ、という議論も存在する。子どもであっても大人同様、権利の主体であるという考え方があるのだが、この場合は「権利の行使=責任を負う」という関係が当然含まれなければならない(責任をとらない権利の行使はあり得ない)。従って、何か問題を起こしたときには、その責めは子ども当人に帰せられる。ただし、既述だが子どもの権利は大人と全く同様である。

 この大まかな原則が分からないと、子どもには権利を与えないし、少年犯罪には厳罰化で望む、といったような両者の主張が入り乱れ、都合が良いだけで統一性のない政策議論が跋扈することになる。あるいは税負担は軽く、福祉は手厚く、みたいな要求と同じ。
 こうした論理的に不可能である場合や、技術的に不可能である場合というのを自らの政策的立場を自覚化することで、いくらか解消することができるのではないか。そうした期待ができるのかもしれない。
 
ちなみに、政治的立場を簡単に調べられるサイトとしてポリティカル・コンパスが挙げられる。↓のサイトは本書でも紹介されていた日本版ポリティカル・コンパス。
http://sakidatsumono.ifdef.jp/draft3.html