あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

イーグルストン『ポストモダニズムとホロコーストの否定』(岩波書店)

ポストモダニズムとホロコーストの否定 (ポストモダン・ブックス)

ポストモダニズムとホロコーストの否定 (ポストモダン・ブックス)

 本書において想定されるような、「ポストモダンホロコースト否定論と親和的関係にある」なんて、多少たりとも思っている管理人にとっては、ためになった一冊。

 しかし、著者が述べるとおりホロコーストを生み出してしまったモダニズムの文化への異議申し立ての一つとしてポストモダンがあるわけだから、単純に否定論とポストモダンを結びつけてはいけないのだろう。
 著者の狙いとしては、そうしたポストモダンへの誤解を解くとともに、ポストモダンの手法を使うことによってホロコースト否定論を粉砕する武器とするところが特徴的である。
 ところで、歴史的意味における「歴史学」の成り立ちについては本書で触れるとおり、レオポルト・フォン・ランケを歴史学の始まり(ランケ以前は単に「歴史家」であり、ランケ以降は「歴史学者」と呼ばれるゆえん)と見なしている。ランケは歴史を「過去についての科学」であると見なし、それを確立する学問として「歴史学」を生み出したと言える。
 そうした過去についての科学としての歴史に対して、ポストモダンは疑義を向けるのである。歴史上のすべてをそのまま再現することが出来ない以上、歴史家は「何に焦点を当て」、「何を選択し」、「どのように選択し」、さらに「その選択は何によって左右されるのか」を当然考えなければならない、とするのである。

すべての歴史学は、ある方法論もしくは歴史哲学によって形づくられるというだけでなく、あるぼんやりとした、あるいははっきりとした歴史観によって、逃れようもなく導かれてもいるのだ。歴史はつねに、ある世界観からみた歴史なのである。

 その意味において、歴史は物語である、と言うことが出来る。しかし、そこへは歴史を歴史学とする「ジャンルの規則」(=ディシプリン?)と言うモノが存在する。そして、その典型とも言えるのが資料の照合だろう。ホロコースト否定論者は、そうした「ジャンルの規則」に反しているがゆえに、歴史学とは言えず、彼らの言説は歴史ではなく、他のモノ(政治闘争?)として考えられるべきなのだ。

 (前略)すべての歴史的証拠の核心は、実はアーヴィングが歴史家として間違っていたと証明することではなかったということである。その核心は、彼はほとんどの場合どう見ても歴史家ではない、と彼が著しているのは全く異なるジャンル、すなわち反ユダヤ主義ファシストによる痛烈な攻撃なのだということを示すことであった。ホロコースト否定論は欠陥のある歴史ではない。それはどんな種類の歴史でも全くなく、歴史であるかのように論じることなど断じてできないものだ。

 まとめとしてはポストモダンからモダンの生み出した文化に対する疑義、というのはあるけれど、こと、歴史の場合には、誰に対しても検討可能な資料の開示というのは守られなければならない。コレが一つの原則になりうる。それゆえ、歴史学というのは学問上の尊敬を今日でも得られているのである。
 それを踏まえて考えるならば、ポストモダンとはいえ「何でもアリ」というものではなくて、一度はモダンを通過した上での建設的な批判なのだから、モダンとの反対で全否定や不可知論のようなものにはならないのだろう。
 だとすると、不可知論の立場で否定論を唱えるようなヒトはポストモダニストでは実のところないということだ。
 イーグルストンが紹介しているリプシュタットはホロコースト否定論者が反ユダヤ主義者で、またネオ・ファシストを支持する人種主義者と大体のところ重なっていることを指摘している。この場合、否定論者は歴史を論じているように見えて、実は自らの信念を歴史を装って主張しているに過ぎない。
 そのためには「真の討論とインチキの討論」を区別しなければならない。「天文学者占星術師とは討論するだろうか」という指摘は確かにその通りだと思う。