あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

第674回定期演奏会 Aシリーズ(1/22)

会場:東京文化会館

指揮:梅田俊明
ピアノ:野原みどり

<日本管弦楽の名曲とその源流−7 プロデュース:別宮貞雄
ダニエル=ルシュール:舞踊交響曲
矢代秋雄:ピアノ協奏曲
別宮貞雄交響曲第4番『夏1945年(日本の挫折と復興)』

 1月の都響は毎度のコトながら現代音楽特集。
 コレ聴く人いるのかなぁ…とも思うけれど、こんなレアなプログラムを定期演奏会で毎年組むのは都響だけじゃないだろうか。
 ヒトによっては客入りが悪くなるから止めちまえ!なんて思うんだろう。しかし、東京都から定額補助を約10億円受けている以上、興行からすれば赤字だけれど、文化的に意義がある取り組みであれば年に1度ぐらいであれば充分やって然るべきだろう。
 でないと、東フィルやN響みたいに定期演奏会なのに毎回名曲ばっかりやるオケになってしまって、それでは公共オケの意味もないし定期演奏会の意味もない。平日の夜に音楽を聴きに来るくらいなのだから、充分意欲的なわけだし、その意味においてあまり聴衆を甘やかさない方が良いのだ。(だからといって、退屈な曲ばかりされても困るんだけどさ)
 それでも今回は8割方が埋まっていた感覚だ。去年の1月に比べて明らかに多くてビックリした。何があったんだろうか?

 今回は片山杜秀のプレトークがあった。去年までは客席にいた別宮貞雄氏は今回は姿を確認できず。月刊都響にもインタビューがなかったのが気がかり。調子が良くないのかな、なんて思ってしまう。
 片山のトークは今回の作曲者群を並べてみた別宮の意図を推察したり、曲の背景や関連性を論じていたけれど、喋るペースと時間配分を間違えたのか、個々の曲の話は分かるが全体像が掴みにくい内容だった。
 予め今回話す内容のレジュメでも作ってくれば良かったのに。だから、論旨ががグルグルと展開してしまい、結局のところ何なんだ、というような感想。きっとこの手のスキルは向上すると思うが…。


 ルシュールは良く分からなかった、というか既に記憶が曖昧。というのも、今週はちょっとしっかりと働いていたので意識がもうろうとしていた、と言うのが正直なところ。ただ、ストラヴィンスキーの後期と同様に、聴きにくさはない。

 矢代秋雄のピアノ協奏曲は現代音楽としては傑作だろう。これなら普段のプログラムにも入れられる範囲内である。もともとソリスト中村紘子を想定していただけあって、この曲を中村が弾いたら、たしかに迫力ある音楽になったに違いない。
 今回の野原みどりは丁寧に弾いていたのが印象的だった。ピアノ協奏曲にしては金管が効果的に使われていて、華やかさがある。流れとしてはショスタコーヴィチみたいに、20世紀音楽だし、感覚としても現代的なんだけど、調性に則っているので聴きやすいんだろう。


 別宮の4番は、作曲者が70代の時の曲だということだ。
 3番がなんだかパッとしない(「秋」がモチーフだからだと思うんだけど)なかで、4番は「夏」がテーマだし、それ以上に「1945年」というタイトルが象徴するように、戦中戦後の苦難と希望という曲全体を通じて描かれるプロットが分かりやすいせいもあって、非常に親しみやすい。
 ただ、それでも戦中の暗い気持ちが、あまり暗く聞こえてこないのは、作曲者の手法によるものなのか、指揮者の演奏にあるものなのかは良く分からない。例えば、伊福部昭の演奏に際して、山田一雄のとったアプローチを聴くような、非常にエモーショナルな、それでいてパッションが爆発している演奏形態があるのではないか?
 もっと戦中のおどろおどろしさ、というか、先が見えない不安感みたいなものが演奏にあらわれている方が、近いんじゃないのかなぁ…と思う。ただ、現役指揮者でそれが出来る人間がどれだけいるか…という疑問はあるけど。
 そういう展開なので終楽章は戦後の開放感に満ちあふれた演奏である。欲を言えば、コーダの部分が今ひとつ煮え切らないような構成になっていたので、思いっきり肯定的に作曲してあっても良かったんじゃないかなぁ、と感じた。

矢代秋雄:ピアノ協奏曲/交響曲

矢代秋雄:ピアノ協奏曲/交響曲