あれぐろ・こん・ぶりお 2楽章

備忘録も兼ねて。日記なんて小学生の時宿題で課された1年間しか続かなかったのですが、負担にならないように書けば続くものですね。

今後の焦点は公務員の労働基本権?

 国家公務員の幹部が「天下り」や「渡り」をしている現状を是正しようとする今回の公務員制度改革。もっと端的に官僚制改革とでもいうべきだろうが。

 メディアの報道は今回、人事院の谷総裁が「ミスター渡り」の異名を持つ、とかされているが、人事院の機能については相応に説明していたと思う。
 ただ、やっぱり18時台のニュースだと、改革をしようと思っている政治サイドに抵抗する官僚、という構図でしか報道されてないが、それだと片手落ちだろう。


 なぜ、官僚が「天下り」をするか、という前提が共有されてないし、公務員人事について行政府ではあるモノの内閣からは独立した組織として人事院が存在している意味をもう少し掘り下げた方が良いんじゃないか。

 官僚制がよく言われるようなピラミッド構造なのは、日本政治史上の帰結としてやむを得ないところがある。古代から官僚制はその大小があるが、おおむねピラミッド型の組織構造を取っていたと見てよい。ただ、日本の場合、そのピラミッド構造が異常に強固だと言うだけのことだろう。
 富国強兵ならびに戦後復興には中央集権体制によって、政策が実施される必要があった。このような時代にあっては組織系統が複数であっては非効率になる。だから、この場合、官僚制のピラミッド構造には意味があったと見るべきだろう。
 高度経済成長までは経済は右肩上がりの成長を続けていたし、夜警国家から福祉国家へ、文字通り「ゆりかごから墓場まで」面倒を見る政府機能の拡大が世界的潮流としても是認しうるものだった。

 経済発展が続く以上、政府機能ならびに官僚制が拡大しても社会にさして不都合は表面化しない。それに当時は「国士型官僚」と呼ばれる官僚たちも多く、官僚制が充分に機能していた。
 それがただ、そうして意味のあった官僚制が高度経済成長の終了以降、組織の大規模な再編を経ることなく、現在まで来てしまっているのが問題となる。社会のパイが拡大しない中、官僚制だけが自己増殖(役所自体が増えると言うよりも関連団体が増える)を続け、外郭団体役員として、天下りのポストが出来るのである。

 ピラミッド型組織である以上、ピラミッドの頂点に全ての幹部公務員が到達できるわけではない。従って、頂点にたどり着けなさそうな幹部公務員から順番に「肩たたき」に合うことになる。イス取りゲームに喩えれば新卒採用された40人がゲームのプレイヤーで、中堅どころまでは40人分のイスがあるので問題ないのだが、その後、50代に近付くにつれてイスの数は徐々に減っていき、58、9歳の時にはイスは1脚しかないのだ。
 急速に椅子の数が減るわけだから、彼らはゲームオーバー、つまり退職せざるを得ない。しかし、ゲームならやり直しがきくが、人生が掛かっている仕事である以上、彼らを路頭に迷わせるわけにはいかない。だから、彼らの再就職先を斡旋することになる。これが「天下り」である。

 だから、天下りには、官僚制である以上、ある程度やむを得ない部分というモノがある。これを正すには民間企業同様、59歳平社員が可能なような組織構成にしなければならないが、そうなってくると、現行の国家公務員試験?種?種という区分も見直しの対象になるかもしれない(企業でも平社員で入社と課長で入社みたいなことはないわけだし)。

 もっとも、そうした形で天下りが是認されるのはこの場合だけで、わずか数年努めただけで数千万から数億円の退職金を受け取る、というのは社会通念上から適当だとは思われない。勤続年数からすれば常識外れの退職金の支払いは、民間企業であればそこに「官」と「業」の結びつきが生まれる余地があるし、特殊法人であれば税の適切な処理という観点から極めて疑わしい。
 ましてや、それを数回繰り返す「渡り」に至っては弁護の余地がない。


 従って、時代の変化に対応させ、官僚制を再編するという理由から、幹部人事機能を内閣府に一元化するというのは理解できる。ただし、その場合、労働基本権を公務員にも当然認めることとバーターである。

 高校の公民レベルの話になるが公務員には労働基本権のうち、団体交渉権の一部と団体行動権(=争議権)が認められてない。これは戦後、公務員主導による争議権行使の結果日本が共産主義化することを恐れたGHQが内閣に政令201号を出したことから端を発するモノで、先進各国どこでも公務員に争議権が認められてない、というわけではない。

 公務員に労働基本権が全て保障されない代わりに、公務員の地位を守るべく設置されたのが人事院なのである(設置は国家公務員法による)。人事院は給与、勤務条件などの勧告及びそれらの制度の整備、不利益処分の審査、苦情処理などを行うのだ。

 そういうわけで、人事院の機能を内閣府人事局に一元化した場合、必ず国会で議論になるだろう事は労働基本権を公務員に保障することになるだろう。この話は単純に法学ないし政治学にはトレード・オフ関係にあると思うので、政策論争として合意点が見いだせないような話ではないとは思うけど…。
 でも、可能性の一つとして、近年の官僚叩きブームから、労働基本権は認めない、けど、一元化はする。という話が出てくるんじゃないのかなぁ…なんて思ったり。
 タテマエの世界の公務員がタテマエ守られなくなったら、非正規雇用は路頭に迷うだろうし、外食産業のサービス残業なんて当然視されるし、業績悪化→賃下げ当然みたいになってしまうから、巡り巡らせないためにも、やっぱり労働基本権は認めておいた方が良いんじゃないでしょうか。「情けは人のためならず」ってことで。

政府、公務員制度改革の工程表決定 人事院の了承得ずに
朝日新聞 2009年2月3日13時12分


 政府は3日、全閣僚が出席する国家公務員改革推進本部で、公務員の幹部人事一元化を柱とする公務員制度改革の工程表を決定した。「内閣人事・行政管理局」への機能移管に反対する人事院の了承を得ないままの決定。「官民人材交流センター」の天下りあっせん機能廃止は盛り込まれなかった。

 工程表の決定は1月30日の予定だったが、機能移管に反発する人事院谷公士(まさひと)総裁が推進本部の会合への出席を拒否し、延期になっていた。政府は国家公務員法改正案などの関連法案を今国会に提出する。

 3日の推進本部会合には谷氏が出席。「人事の中立・公正性が果たせなくなる」などと懸念を表明した。河村官房長官は3日の記者会見で「ご理解を完全に得ることができなかったことは残念だ」と述べ、法案提出に向け、引き続き説得を続ける考えを示した。

 工程表は、09〜12年の4年間。内閣人事・行政管理局は10年の発足をめざす。当初の工程表案では、同局トップには官房副長官を充てる考えだったが、首相による政治任用の副長官起用に与党内から懸念が示され、最終的に削除した。