チェ 39歳 別れの手紙
今日、全てはそれほど劇的には見えないが、それは我々が成熟したからだろう。だが、歴史は繰り返される。私は、この地、キューバでの革命に私を結びつけてきた義務については、すでにそれを果たしたと感じている。ここで君と、同志たち、そして今や私にとってもわが人民というべき存在となった君の国の人々に別れを告げよう。
(ゲバラからカストロへの別れの手紙より)
カストロへの別れの手紙で始まる2作目「チェ 39歳 別れの手紙」だが、今回も淡々とドキュメンタリー調の映画が続いていく。なので、前作同様、娯楽性の乏しい映画といえば、確かにそういえると思う。
映像で見る限り、キューバ革命を達成したゲバラには革命を達成できたという自負とともに、またボリビアにおいても革命が可能であるという楽観さが感じられる。しかし、時代は彼に味方をしてくれなかった。
ボリビアでなぜ革命が達成されなかったのか、については歴史家や政治学者の分析があるだろう。キューバとボリビアの地政学的差異や、先に革命が達成されてしまったことによる、資本主義陣営の対応の仕方など、様々な要因がある(ロシア革命が皮肉にも西欧諸国における福祉国家の充実をもたらしたように)。
前作と同じく今回もゲバラがボリビアで革命闘争を指導するようになった経緯は描かれない。したがって、キューバ革命の国際情勢が多少理解できていないと、苦しいところはあるかもしれない。
一見、滑り出しこそ好調なものの、農民たちからの支持が得られない、都市部での共産党の支援も得られない(ボリビア共産党はソ連と関係があり、ゲバラはソ連を批判していた)、さらにゲリラ内部からの離反もあって、次第にゲバラは苦境に立たされ、やがてゲリラ部隊は敗走を続ける。
思い返せば、キューバ革命もその中心にはキューバ人カストロがいた。そして理想を追いがちなゲバラに対して、情熱を絶えず宿しながらも、革命の成功のためには清濁併せのむしたたかさをカストロは備えていた。
そうした意味でゲバラのボリビアでの革命闘争は一種の「青臭さ」が漂う。そして、そのことがボリビア革命闘争の失敗の一因でもあるし、反対にそこに「ゲバラらしさ」という魅力を感じるのだ。
ゲバラ最期のシーンは本当に静かに、感動的ですらある。虜囚となった時との兵士との会話、そして、最期の瞬間まで…。ゲバラはゲバラであり続けた。
世界のどこかで誰かが不正な目にあっているとき、痛みを感じることができるようになりなさい。
(ゲバラから娘たちへの手紙より)
- 作者: ジャンコルミエ,太田昌国,Jean Cormier,松永りえ
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